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イバン族の食文化 02/11

一方で、焼畑は、丘陵地などの2次林を焼いて作られるお米の種類で、通称、パディ・ブキットと呼ばれる。2次林を3~4エーカー程(ちょうど一家族が1年間食べていく事の出来るお米が出来る)を切り拓いて、数週間乾燥させた後、一番乾燥する8月頃に火入れをする。

その後、9月頃に種もみを直播する。この風景は、独特で、一人が、長い棒でリズミカルに穴を掘っていき、もう一人が後ろから付いていき、その穴に数種類の種籾を入れていく。

収穫は、1~2月頃となる。焼畑は、同じ場所では、長くても2年位しか稲作が出来ないので、場所を変えていく必要がある。

両方とも、数種類のお米を同じ所に植えていく事で、害虫や鳥などの災害で全滅しない様にするそうだ。又、焼畑の稲と稲との間には、非常食用にトウモロコシ等を植え、その他、野菜として、かぼちゃや豆類を植えたりもする。  

ウォルターは、一瞬躊躇したが、私にやってみるかと尋ねた。

手伝ってくれと言わない所が要領を得ている。手にすっぽり入る小刀を使って、穂先を刈取っていくイバン族の伝統的なやり方だが、数100km離れた所に住む別の先住民族ビダユ族の人々は、穂先を刈り取る事はタブーになっている。穂先に、刃物を立て、梳くことで籾だけとっていく。

ウォルターに従って、湿地田へ進んで行ったが、早速ぬかるみにはまって転んで、一気に稲を薙倒してしまった。

湿地田だから、当然、ぬかるんでいる。稲の列に沿って、細い畦があるので、その部分を進んでいかないと、一気に膝元迄埋まってしまい、身動きが取れなくなる。

彼は、私を一瞥したが、何事も無かった様に、非常に早いスピードで、リズミカルに穂先を刈っていく。私は、と言えば、不器用に進みながら、彼の10分の1以下の遅さで、時折、稲を倒しながら、進んでいる。彼は見かねて、小屋で 待っている様に言った。私は、不服だったが、それに従い、小屋に戻り、茣蓙の上で乾燥している、刈りたての稲を見守った。  

太陽が真上に来たかなと思うのも束の間、彼が沢山の稲を背負子に入れて、小屋に戻ってきた。その背負子は、高さ1.5m位で直径40cmのほどの籠状の物で、稲が溢れるばかり詰め込まれていた。

それを一気に、茣蓙の上に広げ、ならしていった。休む間もなく、私が見守っていた茣蓙にある乾燥した稲の上に立って、足で踏みつけながら、籾を穂先から取っている。

彼の足は、細かい擦傷が一杯付いている。そして、箕(み)ですくい上げて篩いながら、穂先や屑を風に飛ばしていく。最後に、残った籾を見せてくれた。一連の動きに関心ししていた私に、「やってみるか」と笑いながら尋ねてきたが、彼は、私の答えを聞く前に、箕(み)の籾を麻袋に入れ、次の作業を始めていた。

その一連の動きの隙間に何も差し込める余地が無いほど、無駄な動きを省いていた。


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