私の息子、爆発物につき
今後ここで、子育てと仕事の関係性などについて記していけたらと思うので、まず手始めに私の息子について紹介させていただきます。
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私、なべさんがフリーランスになった理由の大部分を、「家族」が占めている訳だが、その「家族」の中でも、もはや「息子」の存在は7割は占めていると言える。
それぐらい、想い・愛し・心配し・愛惜している。
3才男児。このカテゴリーに属する子供はごまんといる。しかし初めての子育てで、育児書を読み漁りネット徘徊した結果、(疲れすぎて最終的に、生物の進化についての本まで読んだ。機会があればこの話も別で)本当に子はそれぞれであると感じているので、
「なべさんの息子に限っての情報」
だと思って読んで欲しい。今育児をしてる人、これから産む人の参考になるのかも微妙である。”こんな生物もいる”ぐらいのテンションで読んで欲しい。
こちら、息子。
イラストの通り「ママ、あっこ(抱っこ)」が口癖の甘えん坊3才男児だ。
誰のDNAなのか、生まれた時からやや赤毛。顔は私の幼少期と類似している。炭水化物と魚、根菜をよく好み、よく食べる。本当によく食べるので現在3サイズ上の洋服しか入らない。ちなみにお菓子はなぜか欲しがらない。おやつには「パン」と「ジャコ(ちりめんじゃこ)」を要求される。
ここだけ聞くとただのデブに聞こえるかも知れないが、彼は「ただ」のデブではない。(悲しいが、デブではないとは正直親でも言い切れない。バナー写真の手は現在の息子のリアル手。)
『うちの子本当に体力おばけなのよ〜』
なんてセリフを聞いた事あると思う。子供の体力の底なし具合を揶揄した表現だが、おばけならまだいい。実態がないんだから可愛いもんだ。
息子の成長記録をざっと紹介すると
【新生児期】
新生児は30g/1日ペースで体重が増えるのがベストらしいのだ が、63g/1日ペースで体重が増加する。また息子に”疲れて眠る”という選択肢はなく、2時間でも3時間でも泣き続けた。
【乳児期】
生後3ヶ月で体重が成長曲線からはみ出る。なんかもうすでに重い。
5ヶ月で寝返りをしたかと思うと、2週間後にはつかまり立ち。そしてあれよあれよという間につたい歩きをし、ズリバイをすっ飛ばして、ハイハイをしたかと思えば、9ヶ月後半で歩き出した。極め付けに、10ヶ月最後の日に勝手に卒乳をした。
もうこの辺りから「思ってたんと違う」感が満載だった。
写真を見返すと、10ヶ月にはもう靴を履かせて外に散歩に連れて行っていた。
【幼児期〜1才〜】
1才になり食べムラはあるものの、もりもり食べた。身体的な成長はもう何も心配していなかったが、早くも『イヤイヤ期』が顔を見せる。
言葉が全く出ていないので、こっちも何がしたいのか分からないし、息子も要求をわかってもらえなくて常にイライラして、周りを攻撃していた。癇癪も体力もケタ外れ、そして声もどデカイの息子の世話が、この辺りから「大変」よりも「辛い」と感じる事が多かった。
家族にだけならまだしも、周りの子供や他の親ですら彼の攻撃対象だったので、「ごめんなさい。すみません。」を言わない日はなかったと思う。
因みにこの癇癪MAX時期に私は、鼻に2回ヒビを入れられている。
幼児センターで、他の子を叩こうと暴れる息子を抑えたら、息子が手に持っていた秋田新幹線E6系「こまち」が顔面に直撃したのである。痛かった。
2回目はシンプルに突進頭突きである。
【幼児期〜2才〜】
言葉の出がゆっくりだった息子も、この頃になるとようやく私を「ママ」と呼び「ちょうだい」など簡単な言葉を出せるようになった。イヤイヤ期も絶賛継続中だったが、1才の頃と比べると少しはマシになっていた。
保育園にも通い、家とは違うルールやシステム、空気感を肌で感じるようになった。遊び・生活内で出来る事が増え、なんでもやりたがる様にもなった。この頃に私は育休を終え、社会復帰をしたので、育児に対して精神的に少しゆとりが出て、彼の成長をゆっくりと感じる事ができた。
四六時中生活を共にしている育休中も、成長をそれなりに感じてはいた。しかし、いつ何時もバタバタして気が休まらなかったので、彼の成長を直に見ているものの、噛み締めて味わう事はなかったのだ。
「成長をゆっくりと感じる事ができる」。そう感じるのはいつも大変な時期が終わった時、彼と離れている時だ。
【幼児期〜現在〜】
いっ時心配していた言葉に関しても、もう何も言う事はない。もはやうるさい程だ。急な癇癪はなくなったものの、社会のルールを少しづつ理解し始めた彼は、『イヤイヤ』ではなく『わがまま』 を言うまでになっている。
今までは「お店のおもちゃを掴む → ”これはお店のだよ。持っていけないよ。” と注意される」で泣いていたが、現在は「お店のおもちゃを掴む→”今日は買わないよ。”と説明される」そうすると100dBの声量(私の体感)で「じゃあ買えばいいでしょーーーーーー!!!!」である。いいわけ無かろう。
彼と3年間生活を共にしての感想は、シンプルに「よく生きてたな」だ。
正直もう0〜2才頃の彼を育てていた記憶はほぼない。彼の成長スピードに私が対応仕切れず辛すぎて、脳がストレスを感じない様に、多分自動消去したんだろう。それぐらいスッキリない。
ネットで「2年間で92人。自分の子が1才になる前に自ら命を絶ったママの数。」という記事を見た。衝撃もあったが、「わかる」と言う気持ちもあった。
彼は『体力おばけ』ぐらいで笑って済ませられる乳幼児ではなかった。
これは私に限っての話ではないが、正直私が93人と数字を伸ばしていてもおかしくなかったと思う。
ただ、最近息子が私にこう言った。
「ママ、お友達だからなー。仲良しだからなー。」
息子の中でまだ「親子」や「知り合い」などの関係性を表す言葉はない。
仲が良く好きな人は全て「友達」という息子カテゴリーに分類される。
嫌気がさして大人気ない態度を取っても、怒鳴っても、こっちの都合で話を聞いてあげられなくても、息子は私を友達にしてくれている。
”93人目にーー”と感傷に浸り、ナーバスな事を言っている私を。
彼は、生きるために自分の本能と欲望の赴くまま、全身全霊で持っているパワー100%を母にぶつけ続け、おそらくその半分以上は拾ってもらえず、ましてや否定された事も多々あったであろう。
それでも本能と欲望に満ちた彼が、私を友達としてくれている。それは「〇〇してくれるから好き」とか、条件を満たしての好きではなく、もはや彼の本能レベルでの好きなのだろう。
正しくは「親子」ではあるが、もう「友達」でいい。3年間後悔だらけの育児を終えた私には十分な称号だ。
「私は彼の本能より選ばれた友達」
彼に直接こんな事を言ってもらってはいないが、日々本能・欲望100%で”生命力”をむき出しで生きている彼を見ていると、この言葉に疑いはない。
この文章を描き始めた時は『体力おばけ』に勝る何かもっと恐ろしい表現を探していたが、違った。
”体力がある 力が有り余っている 元気すぎる” そんなレベルではない
私の息子は
『 生 命 力 爆 弾 』
である。
もはや体力という力加減ではおさまらず、生きる力に溢れ、『おばけ』という不確かなものよりは、確実に攻撃力がある『爆弾』だ。
爆弾なので周りを傷つけたり破壊する事もあるが、生命力からなっている爆発なので、生きる力や頑張り続ける気力もくれる。
だから大変でも「よく生きてた」んだな。
息子を軽く紹介のつもりが、長くなってしまった……。すみません。
でもこれでもまだ足りないのだ。
なんせ相手は私の友達、生命力爆弾なんで。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
●12/13追記●
何が大変だったんだ?と思う方の為に。念のための追加情報。
平均的とされる乳幼児の成長状況です。
https://baby.mikihouse.co.jp/preparations/one-year-chart/
これを見ると、息子の成長は2~3ヶ月ほどペースが早い。
たかが2〜3ヶ月だが、私は順応しきれなかった。育児書の6ヶ月のページを見れば、すでに終わっている内容だし、じゃあ先に半年後の1才頃の内容をみて心構えをしておこう!なんてゆとりを持ってるつもりでも、半年後と思っていた内容が1ヶ月後に急にやってきたりした。
今でもそうだが、基本的に「思ってたんと違う」状態の育児である。