6年前 心臓が痙攣して 始まった
不幸中の幸 とはまさにこんな事だと思った。
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6年前の今頃、
会社の健康診断で、心電図検査を行なっている最中に、突然息が苦しくなり胸がギュッッと痛くなった。
1分も経たない内に痛みは止まったし、元々不整脈があるので、それかと思っていた。それに「初めて」ではなかったのであまり気に留めていなかった。
数日後、健康診断の結果通知が届くと、そこには
「至急再検査」
の文字。
私は「え…嘘…」
なんてセンチにはならず、正直なところ「…面倒だなー…」と思っていた。
当時私は、企業の商品企画・デザインの職に就いていた。
大きな会社ではないので、何でもかんでも自分達でやらなくてはいけなかった。
役職に就いていたこともあり、こなさなければいけない業務量は、今考えると頭がおかしいぐらい膨大だった。
商品から広告、web周り、展示会の企画に、仕入先への営業、カタログやDMのデザイン〜チェック、印刷工場に泊まる事などもあった。「やってくれ」と言われれば、採用面接やクレーム処理もした。繁忙期には残業が100時間近くになる月もあったし、電車がなくなりタクシーで帰るのも珍しくなかった。常に疲労困憊で出張帰りの新幹線で、眠りこけて目的地を通り過ぎてしまうなんて事もあった。
プライベートの時間など、あってないような生活だったが、いつしか「この仕事はこうゆうもの」と思ってしまっていた。
常にストレスフルで寝不足、3食コンビニor外食。タバコは吸わないし、お酒も呑む時間などなかったが、身体の調子はいつだって絶不調だった。
そんな立派な不健康生活を送ってた中での健康診断。
で、結果は要検査。
生活習慣でアウトな点は腐るほど思い浮かぶ。
でもまさか「病気になってる」可能性なんて考えてはいなかった。
いや、「病気になったら、病院行くのに仕事時間にどこか穴をあけなくちゃいけないな〜…」という思いがあり、考えたくなかった。
今思うとこの考えがもはや「病的」。自分で言うのもなんだが気持ち悪い。
再検査になった事が上司の耳にも入り、病院からは早く来なさいと言われてるので、行かないわけにもゆかず、再検査を受けに病院へ。
そこで、「心臓近辺の脈に痙攣がみられました。詳しく検査します。」と言われ、再度心電図をとり、さらに数日心電図ホルダーを着けて生活をした。
再再度病院に訪れて言われた結果は、
冠攣縮性狭心症
(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)
…って何?となった。初めて聞く言葉で、しかも長い。
聞くと、血管の収縮によって突然発作が発症する病気らしい。原因が不明確でいつ起こるのかが分からないので、心電図で異常を見つけるのも難しいようだ。
そんな存在が健康診断のしかも心電図検査を行なってる最中に分かったのは、まさに不幸中の幸だった。
先生は分かりやすように、「ストレス性狭心症」という言葉で私に説明してくれた。普通の狭心症の様に、動脈硬化の様な原因がある訳ではないので、完治は見込めない、いつ発作が起きるのかがわからないので薬は常備する事、タバコは今後も吸わない事、発作が長くなれば死ぬ可能性もある事、優しく話してくれが一気に色々言われたので後は覚えてない。
そして、最後に一番難しい事を言われた「仕事を控えめにして、ストレスを溜めない事。」。加えて「自律神経失調症」の診断もおまけにくれた。
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「発作が起きるので控えめにする」。
この課題をどうするのか考えた。考えてる時点でおかしいのは分かってた。どう考えても身体の方が大事。業務を減らしてもらうなり、仕事を辞めるなりすれば良かった。
でも、
「私」がやらなくなった業務は「誰」がやるんだ
この考えが先頭にたって、中々判断を下せなかった。
愚かな事に、そのまま変わらず仕事を続けた。
しかし、健康診断で再検査になってる事を会社は知っていたので、結果を報告してないと社長に「どうだった?」とやはり聞かれた。
隠すのも変なので、正直に答えた。
聞いた社長はノーリアクションだったが、周りがザワついた。
後日、社労士を含めた会議に呼ばれた。
社長も「ヤバイな」と感じたのだろうか。
「感じたのだろうか」と疑問形なのは、私の業務の主な割り振りは社長から降りて来ているものだった。そもそも振り分けた本人が「ヤバイ」と思っていれば、こんな勤務形態にはなってないはずだからである。
私のタイムカードを見て社労士は「これは異常です。会社として訴えられてもおかしくない。」と私の勤務形態について言及した。
そんな事は改めて言われなくても分かっていた。ただ「私」がいなくなった後、「私に代わる誰か」が生まれて欲しくなかった。それは言うまでもなく会社の「生贄」だからだ。
その後、勤務形態の見直しが終着点もなくダラダラと社内をまわった。
そんな中、経済産業省から「企画価値の生産維持」に取り組んだとして、会社が表彰された。私が企画したものが対象となっていた。
表彰され、付き合いのある業者や、士業の先生方と顔を合わせる際に
「彼女が望んで積極的にやってくれました。」
と社長が笑顔で話していた。
何てない社長からの賞賛の言葉だったが、私はこれに嫌悪感を感じた。
「望んで」
「積極的に」
はたして、やったか?誰が?私がか?
企画職である以上、対象サービス、商品を目的のゴールまで運ぶ事には努めた。それが「仕事」だったからだ。
でも、プライベートや健康を失う事は望んだ訳じゃない。そうせざるを得なかった。じゃなきゃ「仕事」が遂行できなかった。
どうにも処理出来ない感情が、グルグルと巡った。色んなものを蔑ろにして得た賞も嬉しくなかった。何を見て「先進的な働き方」だと称されたのだ…。
でも、結局は自己判断でやった事。会社も会社だが、単純に私が「仕事をしながら生きる」のが下手だったのだ。
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結局、私はこの後すぐに会社を退職した。
退職への背中を押したのは、婚約者(現主人)の一言だった。
「何かあったら、その会社を恨む事になる。もういい。いつでも辞めろ。」
この言葉を聞いて、寝不足を心配させるようなレベルではない不安を与えてしまっていた事に、心底申し訳なく感じた。「辞めろ。」という言葉は冷たいようにも思えるが、はっきりと突きつけて貰えてよかったと思っている。「どうしたい?」と聞かれていれば、下手な私は仕事を続けていたかもしれない。
退職後、結婚し妊娠をした。
この病気のおかげで、保険には入れないし、出産時にも限定された大学病院でしか受け入れて貰えなかった。(おかげで正常分娩にもかかわらず出産費用が平均の倍近くかかった…)
私が退職した後、後任対象となっていた後輩も、私の現状をすぐ側で見ていたので、追うように退職した。
今は、明確な私に代わる「生贄」はおらず、社長と他の社員で分担しているようだ。
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今日コロナの感染騒動で在宅勤務者が増えている。
もしあの状態で仕事を続けて、結婚し、妊娠・出産を終え、今日日を迎えていたら……と、ふと考えてみたので、文章に起こしてみた。
もし仕事を続けていて、当時の「病的」な思考のままだったら、「私はこの仕事を離れられない」という医療従事者でもないのに、謎のプライドを掲げて仕事に行っている可能性が高い。
「本当にとるべき行動」「家族の為にとる行動」を見誤り、「仕事をする自分」だけを正当化しそうだ。
……あくまで仮の話で、自分の事だが、恐怖でしかない。
現在、私はフリーランスとして働いている。
息子の幼稚園も感染予防の為、5月中旬まで休園となり、それなりに影響を受けているが、何とか時間をやりくりして働いている。(正直だいぶキツいけど)
自分の生活を主体とした働き方をさせて貰っているので、今回のコロナ騒動で影響される部分は、スケジュールを組み直させてもらったり、納期を伸ばしてもらったり、無理な部分はフリーランス仲間に外注させてもらったりしている。
そうやって、ご飯を作って食べたり、掃除したり、育児したりと「当たり前の生活」の部分を確保している。
今は、どうやったら当たり前を確保出来るかを考える余地があるが、以前はなかったと思う。
ただ、仕事も生活からは切り離せない当たり前の一部である。
コロナ騒動で改めて「働き方」「仕事との付き合い方」「家族の在り方」を、自分の過去を振り返って考えてさせられた。