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がんばりや -生きることの勇気
明日2020.02.17は母の命日。
2018.02.12
母59歳の誕生日。
病院から、確か半日だけ退院して、父・兄妹・その家族で、誕生日のお祝いをした。
母の誕生日を心からの祝ったのは、本当の意味で初めてだったかもしれない。
2018.02.17
母が亡くなった。
1週間前には、体調は悪くても普通に会話は出来ていた。
なので、どこか安心していたし、医師の先生が話しているのは、最悪のケースに過ぎないと思っていた。いや、そう思いたかった。
亡くなる数日前から、治療の影響で意識が薄い状態が続いていた。
亡くなる前日に、母の病室に行くと、
一言だけ、強い言葉で
「がんばりや」
と告げられた。
当時の私は、とても不安定だった。
死を意識した母にとっては、凄く気がかりだったのだろう。
私は「がんばってるから。安心してや。」と伝えた。
返答はなく、最期の会話だった。
母が告げた「がんばりや」は、何を頑張ることだったのか。
それを聞くことはもうできない。
当時は、仕事に復帰することについてかと思っていたが、違うような気がする。
亡くなる直前まで、父や一部の人にしか弱さを見せなかった母。
少なくとも、私には見せなかった。
母の辛さ、苦しさ、弱さを知ることで、私の負担になると感じたのかもしれない。
死を目の前にして、生きることの意味を見失わなかった母。
生を目の前にして、生きることの意味を見失っていた私。
母は、そんな私に、生きることの勇気を与えてくれたように思える。
生きることは、楽しいこと、嬉しいこと、そして、悲しいこと、辛いこと。
それらを十分に味わうには、勇気が必要なのかもしれない。
そして、想う。
勇気を与えてくれる母は、自分の人生を懸命に生き、謳歌し、おそらく悔いはあったが、それらも含めて受け入れた、強き人であり優しい人だったと。
今の私は、母から貰った勇気に応えられているだろうか。
まだ、答えはわからない。
少なくとも、いま、人生の中で、一番自分に向き合って、真剣に生きている実感はある。
心配しなくいいとは言わない。
どうか見守っていてください。
母からは別のギフトも貰っています。
そちらの内容は以下の投稿をご覧ください。
読んでくださり、ありがとうございました。
なお、何か気づきや感じたことがございましたら、気軽にコメントを頂ければと思います。
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