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1年前の自分の記事を読んでみて

こんにちは☀
大山滞在31日目です。

ここ3日間、更新が滞ってしまいました。
今、じゃんじゃんと一緒にnoteの毎日更新に挑戦しているのですが、私がかけていなかった3日間も継続して記事を上げていて、そのことがとても励みになりました。

自分がかけていないときは、相手がアップしたことを知ると、正直「あ〜、今日もかけてないわ。。」という焦りや罪悪感もよぎります。
でも、じゃんじゃんが書いたブログに没頭して読んでいると、それをきっかけに考えることもあるし、コメントしたいことも出てきます。

そうやって自然に、また戻っていける、自分も書きたいと思えるようになるのは、本当に心強いなと感じました。


昨日のじゃんじゃんの記事を読んだことがきっかけで、自分が1年ほど前に書いた記事をいくつか見返すに至りました。

今すごいことしてるように見える人も、最初からできたわけじゃなくて、これまでの積み重ねがあって、今がある。

昨日のじゃんじゃんの記事より

「この人すごいな」「こんなふうになりたいな」と思っても、その人が「今」にたどり着くまでの道のりをリアルタイムで目にすることはなかなかできないので、つい今のその人だけをみて、今の自分とのギャップに焦ったり、自信を失ったりしてしまいます。

先が見えないと不安になるし、自分がこうなっているという像がイメージできないと「この努力を続ける意味ってあるのかな?」とも思います。

私は自己肯定感が高くないので、割とそうやって捉えがちです。
なので、今はトレーニング中です。

不安はや虚無感は必ず襲ってくるし、言い訳もしたくなる。
逃げたくなるし、やり過ごしたくもなる。

そういうときに、どう考え方を転換するか。

不安が生じるのは、今の自分と向き合っている印で、逃げたくなっているときは、成長の機会。
そうやって考えることを繰り返しています。

無理やり思考を変えても、心はついてこないこともありますし、むしろ今はまだそういうことがほとんどです。

でもだからこそ、やり続ける価値があるのだろうなと思います。

ブログ更新がとまり、朝のルーティーンも崩れ始め、もういいや、と逃げたくなっている今が成長のときと捉えて、エンジンを噴かせていきます。

最後に、さっき見返した1年前に書いたブログについて。

読んでいて正直むず痒かったというか、なんだか気持ち悪いな〜と感じました。

文章の節々からなんだか偉そうな感じが読み取れるし、ところどころ茶化していて、きっとこのときの自分はこうやって自分を守っていたのだなと。

でも、書き方や自分の考え方、スタンスについて、色々とアドバイスを受けてきて、「今」この文章を書いていると考えると、この1年間で自分なりに色々と積見上げてきたのだなと思うことができました。

半年後、1年後に、今日書いているこの記事が、「なんだか気持ち悪い」と思えるよう、日々目の前のことに集中していこうと思います。

大山滞在「残り2日」

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