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相談を受けて、お前が悩むな。

おはようございます☀
大山滞在17日目です。
今日も最高の1日にしていきます!

人に相談をされたとき、もしくは、相談とまで行かなくても、

「こういうことがあって落ち込んだ。」
「〇〇で今、イライラいしている。」
みたいに、今の状態をシェアしてもらったとき、自分は結構どうしようか考えてしまうタイプです。

論理的に、考えてしまいます。

最近あった事例で言うと、彼女から、仕事のことでしょげているというメッセージをもらって、なにを返すかとても迷いました。

そのときの頭の中を振り返ると、

「解決のためのアドバイスをする、は確か何かで厳禁だと聞いたことがあるな。」
「共感が大事、とよく言われている。とはいえ、どうやって共感するんだ?」
「いやでも、あからさまに共感のメッセージを送るのもなんかわざとらしい。」
「自分も似たような経験をして、、とかは?」
「いや、それで自分の話で長文メッセージ送ったら、それこそ論外だろ。何わかった気になってんねん。」

みたいな感じで、結局、

「頑張っている証拠だね。」

といった感じのメッセージを送ることしかできませんでした。

ちょっとそのことがモヤッとしていたので、昨日のブログに書いたようにこのエピソードをべっきーさんに相談しました。

そして、最終的には、「何をしてんねんお前は!」と自分に言いたくなりました。

どうしたらいいか、何がベストか、じゃないだろ。
なに、選択肢だして、どのメッセージを送ろうか考えてんねん。
心配になったならその気持ちを伝えるなり、寄り添いたいと思ったその気持を行動に変えたり、話す内容になんてなんの意味もないだろ。

話をしていくうちにそんなことに気づき、そこから自分は相談を受けたときに、とっさに「内容」にフォーカスがあたって、そこをどしようかと考える癖があると感じました。
そして、それは「内容」をなんとかできる、という思いが、潜在意識の中にあるからそうなるんだろうと思いました。

「そんな人の悩みを自分が解決できるなんて思うな。自惚れるな。」
です

これも頭ではわかったつもりになっていたし、よく言われていることでもあったのですが、ハッとする、みたいなものはやっぱり体験からしか得られないし、それをアウトプットしたときに、自分で気づくことでしか学びにならないのだなと思いました。

自分は「手段」に意識が向きがちなので、「電話をする」という手段が良いということではないと、自戒の念も込めて書いておこうと思うのですが、今回は、割とメッセージにすぐ気づいたし、どうしたんだろう?と思ったのだから、その時すぐ行動に移すのが自然だったのだろうなと思いました。

本当に日々学びが多いです。反省はしているのですが、学びを得られたこと自体はとても嬉しく、不思議とネガティブな気持ちとかにはなっていない感覚が新鮮です。

たくさんの人にあたたかく支えられて、どうにか生きれています。
いつもありがとうございます。

大山滞在「残り14日」

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