「先天性多発性関節拘縮症」

 娘には先天性多発性関節拘縮症(Arthrogriposys Multiplex Congenita 略してAMC)という障害がある。これはとても珍しい障害だと、私は思うのだが。見る資料によって約3千人から1万2千人に1人の割合で生まれる、という説と、10万人に1人の割合、という説があるみたい。10万人に1人はさすがに大げさかなぁ。ちなみにダウン症は、千人に1人ぐらいだそうだ。

AMCは症状の名前であって、この症状を呈する原病は100種類以上あると、どこかで読んだように思う。もう一度元記事をインターネットで探してみたけれど、見つけられなかった。娘以外でこの障害をもつ人に、私はまだ実際に出会ったことはなくて、インターネット上で数名見つけた程度。さらに娘と原病自体が一致する人は世界的にもとても少なく、それも含めるとまだ日本では見つけられていない。インターネットで外国に、3人くらい実名を出している人を見つけたけれど、こちらが一方的に見ているだけ、という現状だ。

 同じAMCでも、拘縮の範囲が腕だけ、とか一部だけの人もいれば、うちの娘のように全身に及ぶ人まで、症状の表れ方は様々なようだ。多くの場合知的な障害を伴わない、とあちこちのサイトに書いてあったのに、うちの娘には知的障害まであり、3歳になっても発語がない。(すごくかわいい喃語をたくさん話していたけれど。)まさにレア。レア中のレアである。ここまでくると、一周回って逆にラッキーなのではないか、と思ってしまうほどのレアパーソンだ。 

 娘は体がとても固い。健常な人の「体が固い」とは全く違う。まず、関節が自由に曲がらない。肘にも膝にも、皺がない。初めから曲がる設定になっていません、という感じ。娘の両股関節と片方の膝は脱臼している。脱臼と言うけれど、初めからはまらないまま育ったのだと思う。だから見た目は、あらぬ方向に関節が曲がっていてとても痛々しく感じられるのだけれど、娘は痛くも痒くもないらしい。はまっていたものが外れたのではなく、はじめからそのように生えているだけだから。痛くないのは救いだ。

 それから、体のあらゆるところが縮こまっている。首は肩に埋まり、手指はぎゅっと握り込み、足首の皮膚は動かす余裕がないため、少し足首を動かそうとすると、皮膚が引っ張られて切れそうになるほどだ。

 そして娘には筋力が全然ない。全然。自分の腕を持ち上げることも、足をバタバタさせることも、まっすぐ座ることも何にもできない。首さえ完全には座らない。寝返り?ハイハイ?ましてや立って歩くなど。本当にただただ、それ用の機能を備えていないのだ。

 こんな困難ってある?

 娘が生まれた時、障害があると知ってショックを受けながらも、「水泳とかさせたら良いのかしら?」などと考えていた呑気な私は知らなさすぎた。こんなにも、体が動かない人がいるなんて。水泳どころではない。肘を曲げて自分の手を舐めることすらできない。とにかく、自力で生きていくための最低限の体の動きが、何もできないのだ。

 この障害をもつ人にはあらゆるリハビリが必要となる。娘も生後間もなくから、PT(理学療法士)さんがNICUに通ってくれて、体をほぐしてくれた。固く縮こまっている関節をちょっとずつちょっとずつ動かして、可動域を広げていく。動かない関節をゆっくりゆっくり、動かないなりにほんの少しずつ曲げたり伸ばしたりする。健常児のように動けるようには絶対にならない、気の遠くなるようなセラピーだが、娘のほんの数ミリ、数センチの進歩が、私にはとても嬉しい。

「リハビリ」という言葉は「元の社会生活を取り戻す」という意味を持つそうだが、この子には「元の社会生活」なんていうものは存在しない。元々この体で生まれたのだから。だから厳密には、リハビリというよりはセラピー(あるいはトレーニング)と呼ぶのが相応しいのだと思う。娘はこれまでに全身の動きを引き出すPTさんの他に、主に手の動きに特化したOT(作業療法士)さんや、口の動きや嚥下、発声や言葉、聞こえなどに関わるST(言語聴覚士)さんたちのセラピーを受けてきた。ちなみに私は「言語聴覚士」という職業があることを、娘が生まれてから初めて知った。

 月に何度ものセラピーは、まるで習い事のようで、生後すぐからたくさんのセラピーを受けてきた娘は、英才教育を受けているようなものだ。そして医療的ケアの機械類の他に、バギー (子ども用車椅子)に座位保持椅子、たくさんの装具類。これらには相当な金額が費やされている。これが英才教育と唯一違うのは、これら全てを駆使しても、娘の持って生まれたマイナスが、プラスになることはないという点である。娘はたぶん、歩けるようにはならない。(この障害を持つ人の中には、普通に歩ける人や、装具を付ければ歩ける人、車椅子の人もいる。本当に一人一人状態が違う。)うちの子はそういう風に生まれて、それがこの子にとっての普通。わが家にとっての普通なのだ。幸いにして(?)、この障害は進行性ではないらしい。だから、生まれた時が一番状態が深刻で、リハビリや手術によって、少しずつQOL(生活の質)を上げるのだそうだ。まさに、伸びしろしかない。

 娘の身体の状態をある程度把握するようになり、この子は誰かに助けてもらえない限り生きていけない子なんだ、と知ったとき、私は絶望という言葉の意味を、初めて身をもって知ったと思う。娘の生の全てが、周りにいる人間次第でどうにでもなるということは、私にはこの上なく恐ろしいことのように思えた。「お手上げじゃないか。私がいなくなったら、この子の人生はおしまいじゃないか。」と、暗闇に吸い込まれてしまいそうな気分になった。

 とても不自由な体をもって、生まれてきた私のプリンセス。私は彼女に、できれば日々幸せを感じながら、楽しく生きてほしいと願っている。娘は私に、母になるという大きな大きな経験をくれた。私はその恩返しがしたいと思う。

 あまり痛い思いをさせたくないな。でも、不自由はできるだけ取り除いてあげたい。そして娘が、たくさんの優しい人たちに助けてもらえるように、その人たちも私と同じように、娘からたくさんの愛や喜びを受け取ることができるように、素人母は考えるよ。医学的な専門知識をもつ人たちの、思いやアドバイスによく耳を傾けながら、何度も何度も熟考する。

 娘にとってベストな道は何なのか。言葉をもたないこの子にとって、いちばん良い道が選び取れる親でありたいと思う。それは時にとても難しいことだけれど。

 私が娘につけた名前には、遠い国の言葉で「松明(たいまつ)の灯」という意味がある。どうかその光が、娘の行く道を照らしますように。それと同時に彼女の存在が、彼女の周りにいる人たちの暗闇を照らしますようにと、私は今日も祈っている。

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