「戦争?大好き!」から、「全体主義?大っ好き!」へ
いわゆる、ネトウヨ専用。美術家だと会田誠が顕著だが、いつもネトウヨ専用のSNS発言に終始している。この固定形式って、結局つまらなくないかな。
「戦争?、大好き!」と言っていた文化人に関しては、8、90年代に顕著で、例えば坂本龍一と中上健次が対談でそれで大盛り上がり。当時の「ニューアカ」の特徴と言っても良いですね。浅田彰が発信源と言っても良いかもしれない。浅田は90年代になっても、「戦争って面白い。(死体が焦げる匂い等と表現し)複数の情報の束だ」と。
フランス現代思想(ドゥルーズ=ガタリの「戦争機械」)を背景にした、児戯に等しいとも言えるが。
この辺と、今のネトウヨとの文化的相関を客観的に考えたら、面白くなるのかもしれない。
昨今の「無痛」文化とも関係が深いとも言えますね。端的にはドラッグですね。実際、先の坂本発言では、「怪我をしても痛みが無いなら、戦争ほど面白いものはない」と表現されている。フーコーの「快楽」ともおそらく関係している。「安楽死」とか。これが、文化の「革新性」みたいな表現だった。
ゼロ年代以後、私がアート周辺で見聞きしたのは、「戦争?大好き!」ではなく、「全体主義?、大っ好き!」。うってかわって、こちらにシフトしたという印象。左翼のモードチェンジの一種の紋切り型とも言えるか。
10年代以後、私が個人的に注目したのは、彦坂尚嘉氏のSNS発言。10年代になっても継続する、これらニューアカへの批判とも見ることができるが。端的に、「頭痛でも頭痛薬飲んで気持ちよくなるな」と表現をしていた。また、10年代後半以後、彦坂(塾)グループは、SNSを観察していたら、実際に飲酒の習慣をやめましたね。有言実行みたいな形で。
文化潮流としては、こちらの方が面白みが濃く私は感じられた。
[追記]
もう少し、歴史を掘って行くと、戦前に当時の若者に影響を与えたとも言われる保田與重郎の『戴冠詩人の御一人者』(1938年)を自宅で、演劇批評の海上宏美氏とちらっと読んだんですね。10年代半ば。それに私は、今で言えば「ドラッグ」性と、平板な「オタク」性を同時に感じた。あえて言えば、「ニューアカ」を。
そう考えると、保田の戦前の「近代の超克」会議への、土壇場での無言での出席ドタキャンなどの無責任ぶりも、(現在も池内恵などに「空無だった」と手厳しく批判される)80年代に浅田彰が唱えた「逃走」のある種の相似形だったと、見ることもできる。
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