「戦争?大好き!」から、「全体主義?大っ好き!」へ

会田誠さんがリツイートしました
早川タダノリ@hayakawa2600·2020年2月28日
「よろしい、ならば戦争だ」を言ってみたくて仕方がないイキった人がいることを以前観察したが、「よろしい、ならば納税報国だ」「勤労奉仕だ」「金属供出だ」とイキる人をまだ見ていない。
https://twitter.com/hayakawa2600/status/1233273790261424128

いわゆる、ネトウヨ専用。美術家だと会田誠が顕著だが、いつもネトウヨ専用のSNS発言に終始している。この固定形式って、結局つまらなくないかな。

「戦争?、大好き!」と言っていた文化人に関しては、8、90年代に顕著で、例えば坂本龍一と中上健次が対談でそれで大盛り上がり。当時の「ニューアカ」の特徴と言っても良いですね。浅田彰が発信源と言っても良いかもしれない。浅田は90年代になっても、「戦争って面白い。(死体が焦げる匂い等と表現し)複数の情報の束だ」と。

フランス現代思想(ドゥルーズ=ガタリの「戦争機械」)を背景にした、児戯に等しいとも言えるが。

この辺と、今のネトウヨとの文化的相関を客観的に考えたら、面白くなるのかもしれない。

昨今の「無痛」文化とも関係が深いとも言えますね。端的にはドラッグですね。実際、先の坂本発言では、「怪我をしても痛みが無いなら、戦争ほど面白いものはない」と表現されている。フーコーの「快楽」ともおそらく関係している。「安楽死」とか。これが、文化の「革新性」みたいな表現だった。

ゼロ年代以後、私がアート周辺で見聞きしたのは、「戦争?大好き!」ではなく、「全体主義?、大っ好き!」。うってかわって、こちらにシフトしたという印象。左翼のモードチェンジの一種の紋切り型とも言えるか。

10年代以後、私が個人的に注目したのは、彦坂尚嘉氏のSNS発言。10年代になっても継続する、これらニューアカへの批判とも見ることができるが。端的に、「頭痛でも頭痛薬飲んで気持ちよくなるな」と表現をしていた。また、10年代後半以後、彦坂(塾)グループは、SNSを観察していたら、実際に飲酒の習慣をやめましたね。有言実行みたいな形で。

文化潮流としては、こちらの方が面白みが濃く私は感じられた。

[追記]

もう少し、歴史を掘って行くと、戦前に当時の若者に影響を与えたとも言われる保田與重郎の『戴冠詩人の御一人者』(1938年)を自宅で、演劇批評の海上宏美氏とちらっと読んだんですね。10年代半ば。それに私は、今で言えば「ドラッグ」性と、平板な「オタク」性を同時に感じた。あえて言えば、「ニューアカ」を。

そう考えると、保田の戦前の「近代の超克」会議への、土壇場での無言での出席ドタキャンなどの無責任ぶりも、(現在も池内恵などに「空無だった」と手厳しく批判される)80年代に浅田彰が唱えた「逃走」のある種の相似形だったと、見ることもできる。

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