時代区分の混在・今しかないという感覚
彦坂尚嘉さんの言う「無芸術」(用語自体は元々アラン・カプローのものらしい)は、落ちて行く文明、即ち「無文明」=現代を前提としているらしいが(現在の世界の戦争・政治状況を見てもそのように確かに私にも感じられるが)、奈良美智や村上隆、あるいは草間彌生を見ても既に現に芸術の本質が失われ立派に底まで落ちた形になっている。そこで「盛期ルネッサンスの頂点」としてのレオナルド・ダ・ヴィンチを、特にAIの特徴とスフマートを結びつける形で彦坂氏が再度注目するというのは、どういうことだろうか。それは「芸術」の復活を意味していないか。芸術が復活しました。
また、彦坂氏は無文明時代は(レオナルドが当時の先端機器のカメラオブスクラを使用して絵画制作したように)、AIを軸にした美術制作が中心になって行くと語っているが、それはイーロン・マスクやレックス・フリードマンが人類の火星移住を実際的に志向しているのと似て(曰く、太陽の膨張により人類が滅亡する前に太陽系外に出ていくその一歩と)、どこか突拍子もない印象を与える性質を持っている。また「今しかないかもしれない」という感覚は、これら人々に共通し、共有がされている。
参照。