芸術は教えられない
森田靖也(旧表記:オマル マン)氏との対談、第78回目。
7月21日
K「森田さん、こんにちは。美術家・彦坂尚嘉さんが、Youtube動画で芸術制作においてあるべき「任務」という観点を提示しています。「任務」としての、(奈良美智的)「ナルシシズム」を超えた「芸術」。政治家・安倍晋三氏が遊説先で銃撃され死亡した事件を一つの契機とした発言。」
M「加藤さん、こんにちは。じつは私コロナ陽性になってしまいまして。」
K「なんと! 発熱は?」
M「死にかけてました。昨日の夜中が39度くらい、いまは38度くらいに下がりました。ちょっと楽になって、PCの前に座っています。」
K「昨日の午後(チャットで)会話した、後ですね。そんなに急激に上がるものですか。」
M「私もびっくりしています。いきなり、ゾゾゾゾっと。」
K「いきなりですね。」
M「仕事がきつくて、そのせいで免疫が落ちていたのかも。でも、あれですよ。コロナ、私の体感ではインフルと、何か違うのか?という。」
K「精神力が低下するのも、確かに体力の温存に影響はあるでしょうから、関係はあるでしょうね。お大事にしてください、本当に。」
M「ありがとうございます! たぶんこのままいけば、明日には回復すると思います。」
K「発熱のピークは超えたと。早いですね。カーブが急。」
M「早いですね。インフルエンザよりも早く回復する感じですね。昨日、病院に検査にいったのですが、予想とおり、長蛇の列で。死ぬほどキツイのに、外で2時間、ずっと待ってて。それが一番地獄でした(笑)。」
K「小泉悠氏の一家も感染と、昨日Twitterで見ました。」
M「本当に地獄的な体験。夏なのに異様に寒いという。あんまり発熱ダイヤルのいうことを鵜呑みにしてはいけないですね。」
K「あてになりませんか? ダイアル。」
M「真面目に話を聞いて、愚直に実行すると、私のような地獄を体験しますね。あいつら、事務員なので。想像力がゼロなんですよ。」
K「適切な自己処置を、教えてくれないと。」
M「もう、あれですね。思い切って、一回検査したあとは、どうせ何時間が待つことになるので、家で待機するべきですよ。医者には、電話をくれと頼んで。それが一番。どうせ頓服薬しか出さないし。で、頓服薬が欲しい場合は、もう一度いけば良いと。」
K「なるほど。その辺の現場の状況を踏まえた上での対応がないということですね。」
M「そうですね。ブルブル悪寒に震えて、夜の、外で、2時間以上待機とか、狂気ですよ。私みたいな人が、駐車場に何十人といましたね。」
K「頓服薬もらうために、発熱が急上昇する中で、長蛇の列というのは、確かに当事者にとっては地獄ですね。」
M「私の、今年の「死ぬかと思った」賞、堂々の1位でしょうね。」
K「これも「全体」が見えていない。ダイヤルでアドバイスする人が。」
M「まったく。出てくる人、ただのお兄ちゃんですから。」
K「そうか、「末端」でしかないか。末端に指導する人も、おそらくいない。」
M「いないですね。たんなるオペレーター。」
K「それなら、本当に人ではなく、機械式な対応にすれば良いのに。これまで散々コロナの間経験してきたのだから。経験値の情報は揃っているはず。」
M「当のコロナなんて、思った通りですが。ただの瞬間最大風速が高いインフルみたいなもんなんで。コロナよりも、それを扱う、医療機関の構造がオカシイという。」
K「でも、森田さん、思考が正常。心配ない。これなら。」
M「思考がおかしくなる、なる情報ありますね。コロナで。あれは一体...。後遺症で脳が委縮する、みたいな。」
K「身をもって体験したのは、貴重な歴史の証人ですね。日本の医療制度の諸々の。」
M「そうですね。一度かかって、良かったかも(笑)。」
K「テキストを媒介していない。なんせ。私もかかるかな。森田情報、超参考になりますね。」
M「加藤さんも、お気を付けください。とくに免疫力は大事な気がしてます。ここ最近たしかに私はメンタルが弱っていた。ふりかえると。」
K「そうですね。免疫力。森田さんも、短時間で回復に向かっている様子が伺えるのは、基礎免疫力があるからかもしれない。最近、私は風邪もひきません。わりと安定しているので、安心していました。」
M「今日はここで区切って、また明日、お話ししましょう!」
K「ありがとうございます。また経過お知らせください。いつでも。回復を祈念しています。それでは。」
M「本当に、ありがとうございます。ではまた!」
7月22日
M「加藤さん、こんにちは。」
K「森田さん、こんにちは。具合はどうですか?」
M「熱はかなり下がって、今は平熱36度台です。でも夜中にグッと上がって、38度くらいになるという。頑固ですね。あと喉が痛いですね。これも事前情報通りです。」
K「昨晩は38度。今は平熱まで下がったと。喉の痛み、聞きますね。コロナ禍当初から。」
M「たぶん、事前情報を加味して、4~5日くらいはこの調子なのかな?って予想しています。今日で3日目なので、あと1、2日はこんな調子でしょうね。」
K「熱は、上がったり下がったりもあると。それが安定化して快癒する(自己)見込みとして、全部で4〜5日と。」
M「そうですね。私の妹一家も、話を聞くと、やはりそんな具合だったようです。」
K「では、それが標準的な感じ。」
M「せいぜい1週間ってところでしょうね。インフルと似ているが、ただ症状の頑固さが、インフルと違う感じです。インフルは熱が上がったり下がったりはしないですからね。」
K「私はインフルもコロナも経験がないので、比較ができませんが。頑固さが優るということは、つらさもより大きいということ。」
M「加藤さんはインフルになったことがないのですね。凄い!」
K「ないですね。人から聞く「インフル辛かった」という話を聞くのみで。」
M「免疫力ですね。やはり。」
K「ちょこちょこちっちゃな風邪はひく体質ですが、大きな風邪も近年そういえばない。」
M「私も、ここ15年くらい、インフルはかかってないのですが。じつは。就職したての頃に、インフルになったのが最後。」
K「だから、風邪予防にマスクをするっていう観念がそもそもない。インフルの季節でも。もちろん予防接種もしたことがない。」
M「マスクしても、コロナにはかかりますし。」
K「そう言われていますね。」
M「けだし、免疫力を高めるのが一番ですね。十分な運動と睡眠。」
K「ずっと、私はその路線です。」
M「ふりかえると、ここ2週間くらい出来てなかったので。」
K「茂木健一郎氏が主張。「コロナの騒ぎをやめましょう」。」
「ストレスが職場で強かったと。」
M「つよかったんですよ。やっぱり、私は異星人なんで。田舎もんからすると。」
K「二週間ぐらいの、それが下地になった可能性。」
M「モギケンの言う通りですね。コロナ、ただの風邪です。検査で、長蛇の列で、外で2時間待ちとか、バカでしょ?と。この2年くらい医者だけ良い想いしてる。」
K「薬もらうシステムについても、いろいろ言われていますね。」
「医院でちゃっと薬もらって帰る方が、優れたシステムだった。」
M「本当に、そうですよね。」
K「昔の医者はくどくど説明抜き。はい薬、終わり。聞きたい人が聞けるようになったのはいいが、それが形式化すると、患者の側からまた苦情が。」
M「滑稽ですよね。「きちんとしてます」アピール。」
K「むすっとした、無言の医者が喜ばれるかも、今後。」
M「無言の医者、私の小さいころまでは、また絶滅してなかったんですけどね。すごく印象にのこっているのが、歯医者で、「このバカ親が!」と、私の母を怒鳴りつけていた。」
K「そうですね。子供の頃、怖かったが。注射される時、私は腹を蹴っていた。泣きながら。逸話。医者の腹にキック。」
M「逆に、昔は垣根が薄かった。医者と、患者との。」
K「そうかもしれませんね。」
M「今は、フーコーじゃないが、我こそ主体なり!というか。世間とかなり乖離している世界があるようですね。医者の世間。」
K「私は、尾身会長とか一番嫌だなあ、あのヌルヌルした優しい顔と声音が、医療者で。」
M「モギケンも嫌悪していますね。」
K「そうですか。感度良いですね。」
M「オミ、要らんと。」
K「その一言ですね。直感でも。」
M「オミはテキトーなこと吹いてないで、政治に直接働きかけろや!と。茂木は熱弁。」
K「インスタでも優しい顔(https://www.instagram.com/omi.shigeru/?hl=ja)」。」
M「権威をまとった優しいおじさん。」
K「「オミ クロン株には」(https://www.instagram.com/p/CX1G7TtImW3/?hl=ja)。」
M「オミ... クロン株には...。くだらねえ(笑)。」
K「こういう人気取りやっているんですよ。笑顔と。」
M「ある意味、非常に強かですね。「大衆」ってものが何なのか、よくわかっている。」
K「「#ねえねえ尾身さん」(https://www.instagram.com/p/CTWORFzDIJX/?hl=ja)。なんで、こんな子供あやすことやってんのか、と。そりゃ、腹をキックする気にもならんわい、という。」
「奈良美智にも通じるので。奈良受容者。奈良ファンは、我々の文脈だと「狂った母」だと思っています。私は。狂った母、とその子(娘または息子)。「こんなほっこりなのが、金になると。アートと。いいね」と。語れてしまいましたね。今回のテーマ。森田さん、病床から。」
M「狂った母、倒すのは至難ですね。」
K「倒しましょう。「任務」(笑)。」
M「任務ですね。オミを見ればわかるが、狂った母は、ヌルヌルしてる。」
K「ヌルヌルはなかなか。キックも効かないので。ヌルヌルに対する戦法開発ですね。命題は。」
M「そこですね。茂木もオミを叩いているとき、苦しんでる表情を浮かべていた。」
K「狂った母は、ヌルヌルしている、最高のテーゼ。茂木氏も、そこで、やはり。」
M「「俺がオミを叩けば叩くほど、オミは人気になる...」という。」
K「悪なんですよね、「不正受給疑惑」。」
M「悪なんですよ。300億円以上。」
K「奈良美智の「芸術ではない」疑惑。」
M「最近また、似たようなのが出てきましたよ。友沢こたお(https://www.youtube.com/watch?v=BPHIdNHrJls&t=127s)。
ヌルヌルしてる(笑)。奈良美智の「子孫」。」
K「究極ですね。近年の、ここ20年ほどのいかがわしい増殖した現代アートギャラリー業者との、フィット感。まさに「親」の顔が目に浮かぶ、という形式。」
M「すでにして、若手のスターという扱いらしい。」
K「「スター」って言葉が、近年のアートの滑稽さを表出している。」
M「スターって、「ゴシップ」の言葉ですよね。芸術の語意ではない。」
K「ゴシップ、「世間に伝えられる興味本位のうわさ話」。」
M
「布施英利が、友沢こたおのことを「スターだ」と。布施英利氏の声もヌルヌルしてる。」
K「よくこんな無内容なこと言っていますね。」
M「すごいですよね、無内容さ。」
K「まさに「狂った母」。これが偏在している。」
M「このスライムが最初に描かれてそのあとに、顔を生成している。 だから、まさに絵画の誕生の瞬間に立ち会っている、って。」
「「狂った母」ですね。あるのは「任務」の放棄ですね。」
K「これ、ロジックも糞もない。うわごとのような。うわごと、「病気で熱の高い時などに無意識のうちに口走る言葉」。」
M「さすがに、ここまでの水準に下がっているのを目にすると、戦慄しますね。ケロっとした顔で、こういううわごとレベルの話を言っちゃうという。藝大の教授が。」
K「この人芸大教授だとか。「スター」とか、「展覧会前完売」とか、口走っていますね。そして「このスライムが最初に描かれてそのあとに、顔を生成している。だから、まさに絵画の誕生の瞬間に立ち会っている」。ゾゾゾゾーっと。」
「彦坂氏の上記「ナルシシズム」の文脈で言うと、「写真」を絵画画面に「部分視」の集大成として、丸写しすることの享楽に自己が身を任せることが、一つの「ナルシシズム」の顕現。ヌメーの質感は、そこからくる。スライム状の付加物はその冗長表現ですね。リダンダンシー。」
M「あと、すごく素朴に、素描をしない人なんかな?って感じました。」
K「「全体視」はそこからの切断。素描は切断ですよ。素描そのものが。」
「こういう切断のないナルシシズムの究極表現は、彦坂氏がよく例に挙げる殺人者の画家・リチャード・ダッド(https://ja.wikipedia.org/wiki/リチャード・ダッド?fbclid=IwAR1AuCN5oKgolsQxfYvyt2-YL6H9wq8jzUIBlUNbJ7gTfPhEo5Hxi3Ft_CI)。」
M「素描ってキツイですよね。だから力になるんでしょうが。」
K「そうですね。狂気の人には素描は不可能。素描概念が理解できない。ダッドも、絵画空間が(成立せず)「平滑な一枚の布」に最初から最後まで収斂。息苦しいのですが、その平滑さに快楽を求める人々がいる。狂気に同化するように。」
M「狂気って飽きるんですよね。」
K「奈良美智を受容する人は、目が逝っちゃっているんですよ。「楽さ」に。」
M「でしょうね。音楽とかでも、その傾向は一緒です。「自分でもギリギリやれそう」ってバンドが人気になる。フィッシュマンズも、あのボーカルはじつは誰でも真似できる。声を裏返せばいいだけ(笑)。コロンブスの卵。」
K「「うちの息子でも、奈良が芸術って呼ばれてそれでいいのなら、やれそう」と。」
M「そうそう。絶妙なポイントをついてきているという。」
K「結局、これら発祥の地は名古屋。「奈良でいいのなら」と、すぐ続いたのがその後輩の川島秀明(http://tomiokoyamagallery.com/artists/hideaki-kawashima/)。その他。」
M「名古屋ってアツいって印象ですけどね。加藤さんを介して。改めて。東京とは違う過激さもある。」
K「過激さ、ありますか?」
M「寺尾忠[1]とか(笑)。」
[1] 2020年に愛知芸術文化センター、スペースXで開催された加藤豪・個展“ルーレット”のキュレーター。
K「いや、それは(笑)。まあ、そうか。」
M「大野左紀子氏[『アーティスト症候群』の著者]もたしか、名古屋。」
K「大野左紀子氏、馬鹿でしょう。「芸術」の教養と素養の無の。ろくな人、いませんでしたよ。ヌルヌル左翼。」
M「加藤さんがいるので、大丈夫でしょう。逆に、東京が危ない。ろくな人がいない。」
K「清田友則さんの、個別の作品を問わない本人曰くアドルノ、ジェイムソン経由の「抽象芸術論」が、まあ過激な部分でしたね。「芸術やめれ」と[=「過激」馬鹿]。」
M「ヌルヌル左翼に対抗するには、素描でしょう! バック トゥ ザ ドローイング!」
K「大野左紀子に、私はデッサンを教わっていたんですよ。」
M「そうなのですか?初耳...。」
K「予備校時。悲惨ですよね。独学するしかなかった。藝大入ってからも、以後も。」
M「教わること皆無だったと...。」
K「皆無ですね。他の講師も。なんせ、その河合塾美術研究所は、奈良が教えていたくらいなので。私は直には接してはいませんでしたが。糞共同体。名古屋を地盤にした。これは根を張っている。東京に。」
M「予備校に通ってドラクロワみたいな素描できるようになるわけでもなし...と。予備校卒業生の作品を見ても、それは感じます。どれも、金玉がついてないチンポみたいな。」
K「幻想なんですね。予備校、東京藝大。」
M「そこはやはり、厳しい現実ですね。いっそ「教えられない」って正直に言えよって話ですね。」
K「本質はないので、芸術の、そこには。私が絵画科油画専攻に学部で在籍時は、担任がモノ派の榎倉康二だった。作品は、「芸術」ではなく「デザイン」。「看板に偽りあり」なんですよ、元々が。榎倉康二は、上記彦坂尚嘉の予備校時の講師。そういうレベルの連鎖なんですよね。つまるところ[榎倉康二氏も、彦坂尚嘉氏にとっての「狂った母」だと私は思いますよ]。」
M「彦坂氏をさんざん苛め抜いたという、榎倉康二ですね。」
K「そうですね、「デザイン」脳にいくらいじめ抜かれても、「芸術」は生成しないので。生成しないわけだ!(笑)。私一人しか、「芸術」やっていないので。」
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