「特殊能力」の平板さ
以下の動画で面白いのは、Haruna氏が語る特殊能力とはある種の発達障害を指すと考えられるが(視覚だと、風景の細部の総体を瞬時で捉える例があるように)、それは私の問題意識では音楽・美術にかかわらず、その本質が「平板」だということ。
それを芸術において「天才」だと往々にして早計してしまうことが現代において顕著。それに加担している文化人も多い。同時に芸術の衰退・劣化が(そのような文化人には気づかれることなく)一方で嘆かれる。こういう図式ではないか。
Haruna氏はこのような特殊能力の主体を「優等生」と呼ぶ。ここが面白いし、頽落しそれに居直り悪どい場合には賛美さえする現代(の文化人)への鋭い批評にもなっている。
ミケランジェリは、そういう主体(=文化人にとっての対象)ではなかったということ。
(註)Haruna氏はミケランジェリの孫弟子。直接の師はイェルク・デームス。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jörg_Demus)
参照。Haruna氏、ショート動画集。
https://www.youtube.com/@HarunaPianist/shorts