2022

オマル マン氏との対談、第43回目。

K「オマル マンさん、青汁王子が眼球が陥没しているそうです。ブレイキングダウンに出場し殴られて。」

「ドクターA(麻生院長)氏、革新的な提起。「大体ね、ああいう格闘技とか多いんですよね、眼窩底骨折、ボクシングが一番多いんですけど、やめてもらいたいですよね本当に(笑)。治す方の身にもなってもらいたいと思わない?(同僚の医師へ)。あれをスポーツと認めるというのがね。」」

【緊急生放送】青汁王子の眼窩底骨折手術を公開します【ドクターA(麻生泰)】
https://www.youtube.com/watch?v=0pM1Sie_rbk&fbclid=IwAR2C6ImhdtVwyLY0SjLaxrkhtdBmAuvow0Q8aDboakf54iEhh0bOIoMS4NY

「アート的。オマル マンさんの定義。「問題なし」という一般に対して、「問題」を作るのがアーティスト。」

「青汁王子、前のSM動画のエスカレーションでの現状。」

O「加藤さん、こんにちは! 青汁王子の現状、この背景とか、面白いと思います。この展開の仕方と、面白味を一言でいうと「アイディア」ってことですが。」

K「私は、この動画を一応全部飛ばし飛ばしに見て、面白くて始終笑いました。」

O「医療関係者とのコラボというのも。」

K「一つには、外科的にこの治療はどういう段階を踏むのかな、という関心が私はあったのですが。」

「そうですね。最初慶應病院に行って、1週間入院を要すると言われ、友達(ユーチューバー・「お金持ちの息子」)に電話し、その父親の形成外科医が翌日退院とかで請け負ってくれたという流れ。保険適用外で。」

O「「風通しの良さ」を感じています。なんでか、青汁王子と、その周辺には、それを感じる。パッと、アイディアを実現させてしまう。」

K「そうですね。この医者の個性も、あけすけ。」

O「あけすけですよね。オペはアドレナリンが出て楽しい、とか。加藤さんが反応するのは、「アイディア」から反射までのスピード感なのかな?と。」

K「医療以外だけの話をすると、平凡なのですが。医療を絡めていろいろライブのコメント欄を見ながら話すと、非常に風通しが良い。旧来の医療の「インフォームドコンセント」という枠も、個的に質的に超えている。他の友人の医療者らをも、巻き込みつつ。」

O「ステロタイプな医師に見られるような、貴族的に「貿易」を嫌う心性とはまったく違いますね。」

K「コメント欄に「グロ」とあると、「グロって言われてもねえ、医療はこういう風ですよ」と。」

O「こういう医師ばかりなら、いいのに。」

K「そうですね。かなりすっぽ抜けた感じ。性格が明るい。」

O「この医者も、「医療」にべったりと信じ切ってるわけではないような感触がある。」

K「一つの抵抗の形かもしれないですね。「医療」への。」

O「ネットのYOUTBEに、ダダ的なものが横溢している。」

K「息子が、手術前に「父親は青汁王子を救いたいと言っているが、絶対再生回数だ。」と。」

O「たぶん、この動画も、サクッと企画されて実行された感触。全体的なプランニングとか、そんなものクソもなさそう。」

K「そうそう、余裕って感じで。」

O「青汁王子、以下、何名下でアイディアを持ち寄って、「それじゃ。やりますか」というノリで。」

K「「この手術、難易度で言えば、いくつですか?」というコメントに、「一般からしたら10に見えるだろうが、(他の立ち会っている医療者に)まあ1だよね」と。」

O「いいですよね。フリーキー。明るい。」

K「私は、下瞼に電気メスを入れて、そこから金属のヘラを挿入し広げて眼窩底の欠損部分に代替のハイドロキシアパタイト片を挿入するところは、あまりにグロで流石に半分画面を手で隠しながら見たが。これが、通常ではないと、医療者はできないというのは、医療者こそ「無痛」がマスト。笑いながらやるぐらいじゃないと。」

O「明るいグロというのが、ミソですね。一方で、青汁王子には金周りがよさそうな感じがあって、そこも加味されて、意識高い系の女子にも人気がある。」

K「笑いながらやっちゃ、施術者が、駄目だが、それをモニターで見ているこの院長は、爆笑しながら動画配信している。「この画面、サムネに撮っておいてと。スタッフに。青汁怒るだろうな(笑)」と。」

O「加藤豪も、意識高い系女子にも注目を集めるという。その独特のセンス。こめお、の時にも話をしたが、彼もなんというか、ドメスティックな感覚では、説明しきれないものを感じます。進んでいる。」

K「他の動画に巻き込まれている医療者も、一歩も二歩も、ノリとしては引いている感覚だが、でも出演自体は拒まないという。」

O「そうでしょうね。普通の感覚だと引くだろうな。」

K「日頃からの、医療者同士としての仕事関係が、密なんですね。他の医者は、旧来の医者っぽい。」

O「青汁は、「交易者」という言葉が浮かぶ。彼が起点となって、医療関係者を新しい地平へ導いている。」

K「そうですね。「青汁、意外と体を張っている」という、視聴者からの見方への、呼応の一つの形で、ついにここまで。「金持ちになって、目的を達成して、自分は鬱になった」と。」

 O「医療という目の付け所にも品の良さしか感じない。謎の知性の深さ。完全な異分野の交流を齎すというのは、たいしたもの。」

K「完全に「流れ」フローだと思いますけど。初診の慶應病院時点で、普通の医者から「結構大変な手術」と聞いて、「もうやだ」と言っていた。「顔面偏差値が・・」と。「失ったものは大きい、ああ」と。」

O「2019年の時から、チョクチョク見てますけど、ある種の傾向は感じるんですけどね。一貫性はある。」

K「そこから、この院長に瞬時に、(慶應病院の待合室から)電話でつながったのは、才能としか。」

O「本人の独特の感覚。品が好いんですよ。彼。青汁王子のファン層は、DQNじゃないと思う。港区女子とかじゃないかなと。」

K「そうですか。なるほど。ちょっと私も今回の件で青汁の見え方が変わりました。遡って通して見ると、そういえば立花孝志の参院選時・周辺も、演説の応援に足を運んでいた。その時、すでに立花は結構際どかった。」

O「これ、本当は独立して加藤さんと話をしたかったのですが、90年代あたりから、表現者の「カルト」化の傾向ってずっとあったと思っていて。この数年の移行で、その切断が起きているという個人的な直感があるのです。青汁王子もその兆候として見れる。」

「村上隆も彦坂も。カルトなんですよ。私から見ると。」

K「「カルト」化。チンポムなどもそうですよね。それに便乗する茂木健一郎なども。青汁は「単独性」。「交易」。」

「そうですね、村上隆の「ヒロポンファクトリー」、彦坂尚嘉の「ラカン塾」。90年代カルトのその後の延長化。サリン事件等々からの「切断」はない。」

O「光通信とかも。良きにつけ悪きにつけ、勢いのある会社はカルトである。これゼロ年代の合言葉だった。スーパーフリーとかも、その流れの失敗例といってよい。」

K「立花孝志も、旧来のカルトの枠からははみ出た一形態だったか、そう遡ると。」

O「「茂木健一郎に褒められる」、とか、アーティストとして、これほどの責め苦はない(笑)。どんな罰ゲームだよ...と。」

「彦坂は「狂気」という語をねつ造して、積極的に自己のカルト性を外部化している。」

K「そうですね。90年代以後の「カルト」枠に押し込められる。そのまま標本としていわば博物館行き。茂木健一郎は、自身をそのような型に押し込める形で出てきている。」

O「会田誠もリツイートは義理でしてますが、「いいね」はしない。みんなの嫌われ者、茂木健一郎。」

K「90年代的「広告塔」という古い語が、やはりぴったりくる、現在にも生きる人物ですね。茂木氏。」

O「広告塔って、例えば河野太郎もそうですが、信用されない。」

K「河野太郎もそうか。私は気づかなかった。」

O「総裁選の時に明るみになったが、じつは敵だらけだった(笑)。」

K「ああ、そうですね。結果で出た。あの横柄な地の口調も、あの時公に。」

O「逆に、青汁王子を見て感じるのは、味方を作る才能。しかも異種交配という形で。こいつ、今後もいろいろ「実現」させていくんでしょうね。表現者もかくあるべきではないか? 青汁は、現代のウォーホルか?と。」

K「正確には、「自分は友達はいない」って言っていましたね。朝倉がドッキリで「東京に出てから、(地元でつるんでいた現在の仕事仲間以外の)友達ができない」と電話で相談したら。」

O「不思議な奴ですよね。」

K「うーん。青汁であるべき、か。「自己への無配慮」とも、違う。」

O「青汁王子の場合は、十中八九、天然であるので、そこは加味しても。20年くらい早い存在かもしれない。」

K「「失ったもの」に対しては、本音で落ち込んでいるから。「どうなってもいい」というスローガンで走っている朝倉兄弟とは、ある意味対極。」

O「そうですね。体系化ができない存在ではあるので、そこが弱いが。」

K「「体系化」(前の対談後の雑談で、「ゴシック」についてオマル マンさんが言及した)はないですね。」

O「ウォーホルの場合は、一人一人の登場人物が、スポットライトを浴びる存在であると。そういう体系化は青汁には、ない(笑)。場をつくるような志向性ですね。」

K「ウォーホルとの比較も、なかなか面白いが。上記の院長にしても、内容が「現代アート」を温存ではなく、ある意味無効にする。」

O「そこはそうでしょう。アドリブだもの。アートとしての面白味はないですよね。「無効」の方向が強い。」

K「チンポムとか。アメリカで村上氏が見て「こんなのでも良いのかと衝撃を受けて学んだ」という、グロなパフォーマンス等。」

「「現代アート」を無効にする、青汁・院長、というフロー。」

O「「再現不能」一辺倒では、駄目であると。」

K「私の見え方では、「現代アート」を無効にするのが、一番の「笑い」なんだと思います。」

O「無効(再現不能)による「笑い」ですね。その地点では、コンビニの前でヤンキーがたむろって、だべっているのと同じになる。」

K「「アートに回収されないものが、関係ないところで、今日においては多方面でアートを無効にする」という図式か。」

O「ヤンキーの口頭伝承による、アートっぽい何か。みたいな。」

K「「アートいらなくね?」っていうのは、潜在意識の中に日本人の中にある。私も同じ。」

O「知らないうちに超ハイレベルなテーマに...」

K「そうですね。「アートなくなれ」っていうのは、ゼロ年代以後、名古屋が隠れた中心地だった。実は。」

O「加藤さんがマイクケリーに拘るのは、やっぱり偉大な智慧であるなと思うんですよ。」

K「そうですね。アートなくなれ、ピカビア=マイク・ケリーを保守すべきと、私は。」

O「こいつ、今後もいろいろ「実現」させていくんでしょうね...というのは加藤豪にも言える。」

K「ハイレベルすぎる(笑)。」

O「うん、やばい(笑)。」

K「話の内容。」

O「理解できる人、いるのかなと。」

K「私も「実現派」か、実は。不可能性の実現ですね。確かにそう。「できないことしかできない」と。これは真実。」

「「できることはできない」。」

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