日本では0年代から特に「現実にある(他者の死などの)残酷さ」に平気であるフリをするという流行(いわば自己をサイコパスだと意識して誤認する)が、世代を問わずにあったと私には思われるが、2022年以後の現在のように、世界における人間の人間による紛争・戦争等による殺戮が現実としてSNSを媒介として日常的・即時的に入ってくるようになると、例えば「アサドって酷いらしいね、知っているよ」という(イメージ優先の)態度は何人もおよそ取れなくなる。
美術に関しては、ビエンナーレ、トリエンナーレ類が現代アートは世界の社会問題等に機敏に反応するというのが建前だったが、例えばより近年なら「分断の時代」とか。それが今は見せかけ・ダミーだったことがバレてくる。今なら中心的にはテーマは「戦争・紛争の時代」しかないはずだが、日本人は特に(その遺伝子特性からも)そんなことにはおよそ反応ができないはずだ。
参照。
他の参照。様々の世界の現実。