アートとイデオロギー
オマル マン氏との対談、第48回目。
4月20日
K「オマル マンさん、こんにちは。引き続き美術の話題を。「芸術とは何か?」という問いの紋切り型がある。現在も。例として、死ぬ何年か前の学芸員・東谷隆司(2012年逝去)が口にしていた。結構必死になって。この問いの美術業界的・紋切り型を批判していたのが、演劇批評の海上宏美氏でした。曰く「A=A」であると。この種の問いが、「芸術」を業界的に成り立たせている、という根本的批判ですね。」
「これまで対談で論じた、90年代以後の現代アートの「カルト化」に関連している。皆無心に「芸術とは何か?」を唱えようと。カルトの(部分的にも全体的にも)危機が意識されると、それに付随して、狂ったようにこの種の問いが出てくる。」
O「加藤さん、こんにちは! たしかに、その傾向はあちこちに見られます。言説だけではなく、その言説を口にしている面々の面構えすら、皆一様に似てきている。」
K「あちこちに見られますね。」
O「ゼロ年代から「路上」の現場を、目撃してきたという自負はあるのですけど。上京して最初にルームシェアした連中は、当時あった「新宿モア」のゲーマーたちだったのですが。今はもう、雲のまた雲の上の存在になってしまい、会える気がしないが、梅ハラなんかも、普通に目の前にいて。新宿のアナーキーさというのが、私の青春の原体験になっています。そういう「路上」が、まだゼロ年代の前半には残っていたのです。しかしその後、ポリティカル・コレクトネスよる表現の規制が、現実を浸食して蝕んでいきました。ネットがその避難所となったのが10年代ですが、周回遅れで、やっぱりPCに飲み込まれつつある。」
「この加藤ーオマルマン対談は、その防衛線の最前線に躍り出ている形。皆一様にカルト化、のもう一方の側面として、「型のごとき日本化」、と私は言いたくなる。」
K「なるほど。ポリコレと現代アートの結託も、遡ると古いものですね。やはり90年代以後。近年は、より露骨に「発達障害」=アートというようになってきた。」
O「「発達障害」=アート、というのも、大きな路上による包摂が機能していた時期があったと思っています。かろうじて、ゼロ年代前半までは。」
K「「みんな違ってみんな良い」が、自動的に画一化を生む。」
O「それこそ、型のごとき日本化。」
K「「発達障害」=「可愛い」、型のごとき日本化・画一化戦略。」
O「海外では、いっさい通用しないでしょう。むしろ、深い侮蔑によって迎えられる性質のもの。白人に、ナデナデと頭を撫でられたりして。「発達障害」=「可愛い」の当事者たちは、今は、みんな目が死んでいる。」
K「私が知っているのは、原型として「工藤哲巳、カワイイ」。」
O「工藤哲巳の場合はフランスに渡っていて、リアルを体験したでしょうね。差別問題とも向き合わざるを得なかったのではないか。」
K「60年代以後、フランスを中心に他にオランダで、かわいがられた。」
O「フランス人、日本人も中国人もベトナム人も、違いがよくわからないと。」
K「それはありますね。フランスは強力に。」
O「アジア人?とりあえず殴っとけ、という感じらしい。兄の会社の副社長が、フランスに毎年行ってて、姪っ子がフランスで料理修行をしているのですが。いろいろエグイ話を聞く。有名なパテシエの店で。でも逆に、そういう異種交流のリアルが、この国内では、何も起こらない。これはこれで、ヤバい話。本当の「差別」を体験したことがない、この国のほとんどの愚民こそが、本当の差別主義者ではないか?という疑惑。」
K「工藤さんの場合は、それに争う過程で、「カワイイ」は滲み出てきた。イヨネスコを弄っている工藤は、カワイイ。」
O「でも、工藤哲巳はやはり、強靭な男でしょう。レア・ケース。」
K「身体的にはそうですが、「カワイイ」競争は対・私にもあった。50代の男と、20代の私。」
O「加藤さんは、その衣鉢を継ぐ。「日本」を脱ぎ捨てている、師弟。ともに。「かわいい」の、白人にとっての真に意味するところとは「深い侮蔑」。原爆で吹き飛んだ日本人、かわいい。」
K「なるほど。私は反面教師と考えてきたが、その文脈は、今一度ポジティブに(進化形で)、捉え直す必要は、確かにありますね。」
O「オバマも、広島ドームで、ニコニコして演説して。「アナタ タチ ハ cawaii」。だから二重の差別というものが、この国には蔓延している。差別される、愚かな差別主義者としての「型のごとき日本」。」
K「原爆で吹き飛んだ日本人、かわいい。それは確実にありますね。フランスは強力に。原爆で吹き飛んだ日本人、かわいい。それに怒る松本人志も、かわいい。「まー、泣いてるの?ワオ」。」
O「真の意味で「差別」から脱しないと、いけないのではないか?と。カルト化するのは、かわいいおじさんたちです。茂木、彦坂、会田、他。くどいように何度もいうが、反権威の傘を着た権威、というものも、根底にあるのは「差別」。」
K
ちんぽんハッピーさんlove@love46577005·2021年7月22日
返信先: @May_Romaさん
パリでさ、「黒い雨」っていう、田中好子が出てる井伏鱒二原作の映画見に行ったのよ。チケット買うときに、「なあにー、泣きに来たの?WOW!」とか言われて、んだこらと思ったけど、無視したの。で、映画始まったら、フランス人達大笑い。被爆者がメトロの駅にいる浮浪者みたいって、ばか笑い凄かった
https://twitter.com/love46577005/status/1418173891441090569
O「チンポムが「新宿のホストクラブを差別された!」といって騒いでますね。今。チンポムSmappa!Groupとかに改名して。反権威の傘を着た権威。お前らのどこが被差別なの?という。おもいっきり露悪的にハイソ化した芸風なのに。」
K「チンポムのそれ、学術会議の紋切りみたいな感じですね。本当に、教則本通りの優等生。「武器商人」差別。」
O「リベラル風味な文化人たちが追随する。出版業界人とか。「僕たちはフェアネスを重んじる!」みたいなことを言って、ふんわりと連帯。文化エリート意識にまみれた差別主義者のくせして。」
K「反権威主義の衣を纏った権威主義ですね。皆。」
O「一見、いかにも温厚そうな、フェアそうな、清楚な身なりをした、連中。差別を受けること、こそが、正しい軌道の上。」
K
池田信夫@ikedanob·4月19日
安保反対のみなさんの声が、今回は聞こえてこない。今こそ「ウクライナに憲法9条があったら戦争は防げたはずだ」と訴えないといけないんじゃないの。
引用ツイート
安全保障関連法に反対する学者の会@anpogakusya · 4月19日
「日本学術会議の総会が開かれ、政府側から会員への任命を拒否されている6人の学者について、梶田会長は、引き続き任命を求めていくことを強調しました。」
日本学術会議総会 6人の任命求め政府と対話続ける|TBS NEWS
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye6013615.html
https://twitter.com/ikedanob/status/1516305888516382731
O「今の状況は、彼らは自己否定するしかないですね。だから、お茶を濁すようなことしか言えない。池田の、言う通り。骨のあるやつはいないのか? 「差別」されるのがなによりも怖い、差別主義者たち。」
K「お茶を濁していますね。チンポム、今こそ骨を通さないと。森美術館と内紛にかまけていないで。「末端の機関」に過ぎない、ということが世間にバレてしまう。」
O「骨、通せ!チンポム!ですね。お茶濁し、ほんとそう。」
K「しかし、左翼現代アート業界は、内戦になる、という(オマル マンさんと先回対談後の雑談で)語ったとおりに進行している。」
O「差別が怖いから。みんな。彦坂も私に言った科白は「ゾンビも生きています。差別はいけません」でした。」
K「国内で「かわいい」に閉じこもっている。彦坂も。」
O「かわいい...あれが...(爆笑)。「グロイイ」、ですけどね。」
K「本人は、「かわいい」戦略ですよ。優等生なので。すぐモデルを真似る。」
O「「優等生」これですよね。そもそも、「個」を見る目がない。ようするに雑誌の切り抜き。ほとんどの人達が。」
K「代表作、床にシリコンを撒いたのも、ロバート・スミッソンの真似でしかないという印象。豊田市美術館でその関連の写真を並べたものを私は見たが、全体として「汚い」というだけの感想。良いのは、使っている技術だけ。ラムダプリント(2007年写真作品化)。」
O「「知る努力」の放棄の末に、真似る優等生=差別主義者がいる。私は冒頭「路上」といったが、あれは要するに、社会機能だったのだと、今改めて。この20年で、社会が壊れたのでしょう。」
K
FLOOR EVENT No. 3 [1972+++ 2007年 (1972年撮影、2007年写真作品化)
https://www.museum.toyota.aichi.jp/collection/hikosaka-naoyoshi
O「ロバート・スミッソンには、まったくおよばないですね。かわいい。ロバート・スミッソンを「かわいくした」作品。」
K「これが日本の(「現代アート」と呼ばれる以前の)「現代美術」だから、嘆かわしい。本人は、これを「すごいものだ」と懸命に主張。参照。」
Robert Smithson, Asphalt Rundown, Rome, October 1969
https://johnculbert.files.wordpress.com/2014/10/asphalt-rundown-1969_21.jpg
Robert Smithson, Glue Pour, Vancouver, January 1970
https://johnculbert.files.wordpress.com/2014/10/image.jpg
彦坂尚嘉, 『フロア・イベント No.1』, 1970
https://www.artbasel.com/catalog/artwork/48699/Naoyoshi-Hikosaka-Floor-Event-No-1-A-2
4月21日
O「アーティストの皆、一様に面構えが似てしまう。「A=A」の問題、トートロジーへの永久回帰。以前、彦坂氏の議論で、話をしましたね。「鮭の川上り」。トートロジーに囚われるアーティスト。浅はかな「深読み」。いたるところで散見されますね。例えば、先日の梅津氏のチンポムへのレスポンス。」
パープルーム|(梅津庸一)@parplume·4月20日
(Chim↑Pomが言う「夜の世界」を現代アートが謳う多様性から排除するな!っていう主張の裏側にある力学をメディアの方々とかちゃんと考えてみてほしい。Chim↑Pomがめっちゃ優等生になってしまってマジで動揺している。。。)
https://twitter.com/parplume/status/1516735333492490241?s=20&t=ipSizz-cR1_JmzArTBVmMw&fbclid=IwAR3MrD_347AD1AI6fgpzzEV5g2RyMwxnMHIGLWcZoD5QeVSiBashSLlMnV4
パープルーム|(梅津庸一)@parplume·4月20日
(会田誠グループの末尾に位置している中島晴矢など含めてみんなどうかと思うよ
やんちゃさで売ってんじゃないのかよ。上司の顔色を伺うサラリーマンにしか見えませんよ)
https://twitter.com/parplume/status/1516736513060773893?s=20&t=ipSizz-cR1_JmzArTBVmMw&fbclid=IwAR1blghSh6dXzWAV_JVn4oKn6t9jMvfrbjwJkVtbWb1TsdcSFq9yvB6itOU
「梅津氏が批判した中島晴矢氏の応答。」
中島晴矢 a.k.a DOPE MEN@haruya02·4月20日
なんだこいつ笑 つまらない友敵で煽るなよ。Chim↑Pomの森美の展覧会や今回の改名を俺がいつ賞賛した? 現実の複雑さの中で自分の作品つくってくだけ。
https://twitter.com/haruya02/status/1516739633853263873?s=20&t=ipSizz-cR1_JmzArTBVmMw&fbclid=IwAR2hQIWijB9l2O4fgEJqF5rNW3S1ZDkWnHq2Rx_zSqJApEnbLpO3Hbs47c0
「梅津氏の〆の発言「優等生はパープルームの役割なのに」これも、かわいい。」
K「なんか梅津氏のツイート、何を言ってるのか? 読み取りにくい。」
O「読み取りにくい。これでは、たんに「妄言」ですよね。」
K「業界的な隠語的な表現を、ごちゃごちゃ言っているのかな?」
O「我々が昨日述べたことが、普通の意味で「意味がわかる」チンポム批判でしょう。」
K「チンポム批判なんですか、これ。」
O「チンポム批判風の話題づくり(賢しら)ではないですか。」
K「「裏側の力学」批判、なるほどそういうことか。業界批判をしているんですね。なんでこんなに分かりにくいんだろう?」
O「もはや、妄言ですよね。業界批判といって、それすら達成できてない。中島氏の応答「なんだこいつ笑 つまらない友敵で煽るなよ」。「国内政治」のカリカリチュア。」
K「なんだこいつ笑・批判の方が、分かりやすいですね。なぜ、隠語的にしゃべるのか。」
O「分かりやすい。中島氏。「つまらない友敵」こっちのほうがきちんと抽象化できている。隠語的に喋るのは、悪い癖ですね。具体的な思考にとらわれてしまっている。具体的だから、表ざたにするときは隠語にする。こういうのが嫌いなんですよ。卑怯。」
K「そうですね、論理を抽出していない。梅津氏=かわいい。」
O「彦坂の正当後継者(嗤)ですね。」
K「「国内政治」のカリカリチュアを表現するのが、日本の現代アート、と。従前から。彦坂氏も同様。」
O「鮭の川上り、ですね。いくらなんでも30代で川上りは、早い。」
K「30代で疲れ切っているは、テーマでは?」
O「もうちょっと踏ん張れ!と。個人的には。チョロいんですよね。30代で疲れ切っている、も、やはり、チョロいテーマですよ。疲れ切って、かわいい仲間たちと、かわいいで死ぬまで行くのか?」
K「オマル マンさんも30代。これは異質。」
「かわいい政治。」
O「かわいい政治ですよね。ゲロゲロなワード(笑)。」
K「それぞれが「救世主」気取り。」
O「国内で言うと中心がないことが、ここまで恐ろしく弊害となってきてますね。なんでもあり。キモイやつ、OK、むしろ、それが良い。みたいな。」
K「なんでもあり。キモイやつ、OKって、ギャラリストもそんな感じですね。」
O「キモイやつ、ケバイやつ、etc.がゆるく共生して、連帯すると。そんな感じですよね。アメリカとか、むしろそこらへんはドライで冷酷。「カッコいい」エリートの集まりが基本。」
「加藤さんが以前、投稿していたが、海外では、日本のアーティストは見た目で「NG」。身長、体型でNGになってしまうと。変な奴への「生暖かい目」が日本の強みなのかもしれませんね。」
K「それは、女性ギャラリストが言っていましたね。自身の体験として。アメリカはより厳しいと。ヨーロッパは、少しは付け入る隙もある、と。」
O「改めて振り返っても、梅津氏は「変」って、ハッキリ明言して表明できるポジションの人って、加藤さんをはじめ、そんなにいないわけで。」
K「変な奴への「生暖かい目」で、日本の現代アートは国内的に結束している。」
O「はっきりとはみえないが、巧妙な不均衡が「設計」されている。」
K「彦坂氏は「変」も。」
O「うん、ほんと。そうです。彦坂は変!って、例えば東浩紀ですら、言っても無効ですからね。強力な結界がある。」
K「「変」競争みたいなこと。閉じている(笑)。」
O「このテーマについては、村上隆がイラつきながら、かねてより言及しているが、海外の現代アートはルール設計が、ガッチリなされていて、対して、国内は、いっさい不問となっていて。変なやつらが、変にねじけたい解釈をして、真似ているだけで。「ルールがないことが、ルール」って、そんなものは妄言だと。」
K「クイアのユートピアみたいな。日本現代アート。村上氏は村上氏で、ルール盲信教徒のような。オマル マンさんが指摘した「乞食のような」ルックス。]
O「ルールがないから、結局は経験主義と、人間関係だけの「業界」中心主義に。業界人が優れた人間を前にすると、「優れた奴ほど諸刃の剣」と。こいつには、絶対に良い想いをさせない!手足を捥ぎ取ってやると。パブロフ犬みたいに。」
K「村上氏のルール盲信教に一度全員入会して、乞食ルックスで行くのが、正解かも。」
O「ルール盲信教徒(笑)。的確ですね。」
K「ルール盲信教徒か、変な奴のユートピアかの、二択。」
O「村上氏は村上氏で、過度に、そういう感じで押し出してますよね。」
K「一度、村上氏に皆、屈服した方が良いのでは。彦坂氏も梅津氏も、乞食ルックスで、団結。」
O「乞食のボス、村上隆。」
K「村上氏は、分かりやすいモデルを提示している。皆の優しい教師。」
O「みな、村上隆の信仰に降伏せよ!と。IQが高い奴は、例外です。たとえば、加藤さんのように。」
K「そうですね。カルトの乱立から、糾合・統一へと。」
O「適応戦略ですよね。ミスターとか、あれが最高のロールモデル。」
K「「内紛」をやめて、「平和」へ。」
O「俺みたいに「乞食」の身なりになれば、アーティストになれるんだ!というような単純な戦略ではないのですよね。村上さんは。深い知恵と、共同体感覚に裏打ちされている。」
K「それはそうですが。」
O「親鸞みたいな。みんなひとつになろうと。」
「オカルトと紙一重。」
K「そうですね。村上氏は涙すると思う。」
「オカルトと紙一重。」