昭和10年代前後の美術、靉光を中心に
オマル マン氏との対談、第二回目。
2021/9/8
O「次は「昭和10年代前後の美術」というテーマでお願いしたいです。
この時代に、靉光、松本竣介、麻生三郎といった、日本美術の中でも
傑出したアーティストが出現してきます。」
「それともうひとつ、「10年遅れの海外作家の模倣」というものが、
この時代にひとつの伝統というか、制度という感じになった。」
K「分かりました。「10年遅れの海外作家の模倣」については、少し注釈をお願いできますでしょうか。具体的にどの作家からの模倣か、等。」
O「分かりやすい例でいえば、川口軌外のシャガール、長谷川三郎のミロ、などが、そう言えるかと思います。」
K「ありがとうございます。オマル マンさん詳しいですね。私はその二者については、全く知りません。上記三者についても、同様の制度内で語られるものがあるのでしょうか。」
O「上記三名は、傑出した「特例」のアーティストです。それらの対比のために、あえて後述した「模倣」の例を挙げました。」
K「あ、そういうことなんですね。例えば靉光は、シュルレアリスムとの関連で語られることもあるでしょうが、私の感覚としても、もうちょっと独立的に確かに捉えられますね。」
O「仰る通りですね。靉光については、シュルレアリスムでは、もはや説明不能というか。人物ふくめてですが。「意味不明」の、とんでもないアーティストという感じです。ちなみに靉光とつるんでいた、松本竣介、井上長三郎らなども、すごい。」
K「「意味不明」ですか。あんまり言語的に、資料が何も残ってはいないみたいですね。私は戦後、靉光の妻が証言したものを収録した書籍を、比較的近年ですが読んだ経験があり、靉光自身についてのある一定の印象は持っています。この三者では、私自身は圧倒的に靉光に関心があり、そのすべての作品がではありませんが、前回話した作品の「空間性」は、かなり例外的に深いものの達成をしていると思います。」
「井上長三郎も、その次に関心があるという私は感じですね。麻生三郎も凄いですね。戦前の作家は質が高い。」
「ちなみに私が重視する「空間性」の観点から、ほとんど評価しないのが、藤田嗣治です。『アッツ島玉砕』にしろ、何にしろペラペラだと思います。」
O「松本竣介、井上長三郎らと比較しても、たしかな「空間性」があるということですね。靉光にいえるのは、言語的資料がないのと、不運も重なって、作品が少ないという点です。謎が謎を呼ぶという。唯一残っているものが妻の証言などで、研究対象としては、断念せざるを得ないという。」
K「空間性では、明治期の浅井忠に次いで、靉光は確かなものを達成したと私は思います。所謂美術エリートではありませんが。作品は自身が破棄か、多くが戦争で焼失していると言われていますね。」
O「「デザイン」とは隔絶した境地にありますね。ちょっと浅井忠を加藤さんが挙げましたので、共通していえるのは「写真」的な感覚を呼び起こす点です。靉光って、写真的なものがありませんか? 具体的に「眼のある風景」ですが。」
K「「写真」的ですか。その観点は、大変に面白いと思いました。浅井忠も、オマル マンさんはそう感じると。」
O「感じますね。浅井忠は、20年くらい進んでる感じがします。同時代の画家と比べても。すくなくとも、黒田清輝では比較にならないですね。」
K「浅井忠は、なるほど。よく見ていますね。靉光はシュルレアリスムと類似で、「幻想絵画」という見方もされるが、逆にもっと客観的なものがあるということでしょうか。確かにこの二者は、松本俊介や藤田嗣治の例えば風景画と比べても、違いますね。むしろ、後者が幻想的というならあてはまる気がする。」
「『眼のある風景』と、対比してもう一つ私が気になるのが、出征前に描かれた最後の自画像3点で、ほとんど目が閉じられているか、描かれていないんですよね。」
O「浅井忠にしても、靉光にしても、客観的なものがある。内面から出ているというか、距離があって。松本俊介らは、内面と格闘しているという。そういう表現が適当か、わかりませんが。」
K「距離があるということですね。目が描かれていなくても、そうですね。客観的とは言えますね。」
O「なぜ、そういう意識というか、バランスを持てたのか? 1930年頃に、おそろしいというか、怪物的なところがあります。ぜんぜんエリートではないところも含めて。」
K「妻が語っているので私が記憶にあるのが、靉光は「絵が描けんのじゃ」と言って、相当苦しんでいたと(涙を畳に落として)。そういうのはすごくわかる気がします。おそらく、真摯さが格別にあるんですね。絵具とか、物質的なレベルでも、おそらく。」
「そうですね、靉光は突出していますね。」
「戦後の、左翼文脈への回収にも無理がある。」
O「ああ、そういう事なのか...。女性的な人なんですね。」
「写真だと男前ですけど。」
K「靉光は男前ですよね。」
「女性的か。なるほど。」
「対象への真剣さというのは、女性的なのか。」
O「昭和10年代の「左翼」は、戦後の「左翼」ともちょっと違っている様相があって、そういう点でも非常に奥が深いというか、闇が深いなと。小林秀雄とか平野謙とかがマルクスを論じていた時代ですからね。戦後と違って、戦前の左翼は真性のインテリ(旧制一高的な)が主導していたもので、その思想的/文芸的成果も立派なものです。」
K「それは、誰も言わなかったんじゃないかな(>女性的)。左翼文脈で、権力への「抵抗」が足りない、という言われ方はするが。」
O「靉光=前衛=反権力、みたいな見方ですよね。いかにも筋よくないですよね。」
K「全然よくないと思います。」
O「だって庶民は小林秀雄とか平野謙なんて、ぜったい読んでない(笑)ですから。左翼っていっても、そういう本を読んでた訳じゃないですか。共有していた気分が、時代が隔絶していて、分かりにくいのでしょうが。」
K「「抵抗が足りない」=「何目瞑った自画像描いているんだ」みたいな左翼への回収って、前回話した左翼のいじめ体質=リンチ体質に繋がりますね。」
O「いじめ体質左翼って、やっぱ戦後なんじゃないですかね。私の意見でしかないけど。もっと上品なんですよね。戦前の左翼。」
K「そうですか。」
O「日本の1930年代の左翼って、けっこういい線いってたというのが、相対的に私の意見ではあります。」
K「浅井忠や靉光の空間性の卓越性(私が言う「芸術」成立の条件)は、少なくとも戦後の美術・左翼陣営には見えていない。」
O「今の世代、戦後世代、戦前の世代で、左翼の意味が変容している。」
「靉光について、これほど傑出しているアーティストなのに、目を背けているようなところがあるのは、加藤さんが仰るような文脈がありそうですね。」
「浅井忠も、しかし。論じにくい対象ではあります。たしかに。」
K「昨日Youtubeで、靉光を美学校で語っている評論家の結構な長時間動画を見たんですけど、そういう性質がもろ現れていましたね。それだけ熱心に語っているのに、何か虐げたい(イデオロギー的な)意志が随所に表れている。」
O「前衛とか、反権力とかではない、別の何かに対する違和感の表出ですよね。左翼がレッテルを張れるような、そんな簡単な説明では、つかないですよ。」
「まず一つには「海外」という、どでかい存在が、あったはずですよね。靉光にも浅井にも。時代的に帝国主義時代ですし。」
K「そうですね。そこが重要だと思います。「空間」意識の大きさは、帝国主義時代という時代背景とも、もちろんリンクしている。かたや浅井はエリート的な印象で、戦前の靉光は、ほぼ全く無名ないわば両極に位置しながらも。戦勝して、物理的に空間を占有した側が、透明な空間視覚を持てる、ということは、単純化すると言えるが。」
O「そうしたものに対する違和感持っていた、という感じがします。両者も。だから、結果として、「模倣」では決してない。海外を無邪気に模倣しない。」
K「私は(例えば)マイク・ケリーの美術家としての優位性(優等生とも時に私は表現する)は、そういう戦勝側の大国の特質に従属したものであるという見方は、一方では当然持っているんですね。マイク・ケリーにせよ複雑性はありますが、大国の移民の労働者階級で、カソリックだという。」
「むしろ、「模倣」して、「権力」もろとも手中にしたいのは・・。」
O「(笑) 以前加藤さんとケリーについて、話しましたが、ああ、靉光とケリーか!と思って、なんだか直感的に理解しました。たしかになにか似ている。どう説明すればいいのかな? なにかが似ているのだけど、、、」
K「そうですね! ケリーもそういう意味で言えば、女性的だと、私は思っていました。」
O「面白いですね。そう思う。」
K「クーンズのように、人を大量に雇って指図だけで作品を作っていないし。」
O「クーンズとかコールハースとかは、あれは完全に「勝ち」にいってる人達ですね。勝ちの方程式を握ってる優位性が漲っている。」
K「本当、そうですね。」
O「だから、つまらないというか、歴史的には「記録的」な価値しかない気がします。」
K「そうですね。「記録的」な価値ですね。仕事が終わったら、即引退(予定)という感じ。靉光やケリーには、どこかへ続いて行かざるを得ないものを感じる・・。」