文明か、野生か

建築家・篠原一男の晩年述べた、「端正」の複数化。

篠原一男

東京アナーキー
「東京は美しい街ではない。ヨーロッパの美しい都市のなかにある重厚な伝統と、この巨大な広がりをもった現代都市の姿はまったく異質である。〈近代主義的〉な都市論を基準とした場合でも、西アフリカの小さな国の首都のメインストリートの方がはるかに整っている。通りを構成する建物がこれほど多種多様で、その表面を装飾する色や形がこれほど無秩序な街はない。ひとことで、形容すれば混乱が適切である。
しかし、私はこの混乱を、無条件的に、非難しない。混乱は、原則的に、破滅の予感を含んでいる。しかし、私たちの目の前にある〈巨大な村落〉都市の、いくつかの場所には、〈活性〉が通りをいっぱいにしている。」

プログレッシヴ・アナーキー
「都市を考えることは、私にとって、東京から出発することを意味する。ヨーロッパ型都市を追うのは幻想に過ぎない。だからといって、20年前に流行したメガ・マニアックな技術主義都市はさらに空想である。好きか嫌いかのレベルの問題ではなく、この混乱の風景以外に、確かなる出発点を私は見つけることが出来ない。」
「アナーキーを方法化するのは、論理学的に、成立しない。単純化や象徴化はアナーキーの対立物である。計画論的ではなく、確率論的にアナーキーの活性が期待できるだけである。その時代の、物質と感性の両面の、もっとも進んだ建築技術を動員して設計され、そして、他のどれよりも端正で美しいという確信にみちた建物が、通りを無計画的に埋めたとき、アナーキーの活性が生まれる確率が大きい。」
(『新建築』、1981年9月)
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美術史で正確に見ると、「端正」=ギリシアですね。ルネッサンスに端正は無い。ヤン・ファン・エイクにも無い。ゴシックにも無いが、むしろその対極であることで、ヴォリンガーが(『ゴシック美術形式論』(1911年)の後に)ゴシックとギリシアを「生成」の語の元に等号で結んだことに、私は美術家として最大の関心を持っている。

これが戦後アメリカ美術に、中核に流れ込んでいると。

範例は、ロバート・モリス(1931 - 2018年)、マイク・ケリー(1954 - 2012年)。

他の参照。

篠原一男

野生
「それは、まず、機械として私は意志した。しかし、裸形の事物とずれの結合系という私の定義によるこの機械は、その視覚的な特徴によってまず野性ということばに結びつけられたが、間もなく、野生に置換された(上原通りの住宅、1976年)。(『SD』、1979年1月)
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篠原一男 

攻撃拠点としての日本の伝統
「創造とは非日常的なものをつくり出すことだと私は思ってきた。この非日常なるものがこの社会の風化力にどこまで耐えうるかがその価値の目盛りなのだと思ってきた。しかし、孤立した非日常性を私は対象としない。非日常的なるものとここでいうとき、それは日常的なるものとの関係のなかで存在し生命をもつものを指す。日常的なものへの転化の誘惑がまったくないような非日常的なものは、あえて日常性との対比のなかで規定する必要もないからだ。この二つのものの間にある危険な、しかし魅力的な構造は私の好きな主題の一つである。
非日常的なるものへの関心は、私の住宅の思想と方法の根底を流れるものの一つである。たとえば、日本建築の伝統についての問題意識である。日本の多くの建築家やデザイナーたちは、古い伝統などは日本人の日常性以外の何ものでもないと思っている。だが、私にとって日本の伝統は、非日常的なるものの世界以外の存在ではなかった。」

永遠性をめぐる新しい方法
「私は社会の動き方と密着して走ることを好まない。だが、それは無関心でいることを表明するものではない。社会の激しい変動と対応しながら、その変動のなかにある変わらざるものを追求することが私の仕事だと考えてきた。伝統論との長い間のかかわり合いもその一つの仕事であった。変わらざるものは、だから、正確にいえば変わるものとの対応によって、その様相の変化があることを多くの人は忘れている。19世紀の人びとにとっての永遠性と、20世紀後半の私たちにとって必要な永遠性とは同じ様相をもってはいない。永遠性は刻々とその取巻く状況のなかで様相を変貌させる。私がいう永遠性とは動的な構造をもち、それゆえに、現代社会に対する攻撃地点としての機能を所有する。」
(『建築文化』、1971年1月)
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篠原一男

戦闘機の正面
「戦闘機の正面の写真に私は興味を持った。アメリカ海軍の主力として現在使われていると説明されていた。空中での戦闘という特定の目的のために、技術が最大限に動員された飛行機の正面には、飛行機のイメージとしての滑らかでスマートな形は消えている。ジェットエンジンの空気取入口の四角な形や、可変翼と胴体との結合など、部品はそれぞれの役割を最大限に発揮するために、建築的な見方をすれば、〈無造作〉に結合されている。しかし、この機械は驚異的な性能を所有している。そしてまた、この機械が飛行するときの形は、精悍な鳥が飛んでいるときのイメージにきわめて近い。これに比較すると、スマートな流線型の飛行機は、水面に浮かんだ観賞用の水鳥の姿に似る。
危険な武器を私は引用したが、1920年代の近代主義の宣伝のために使用された複葉の飛行機の場合と同様、建築の形と機能の二項組合せの視覚的な類似以外の目的はない。
月面に人間を初めて運送した機械の写真のなかにも、建築的な〈無造作〉を私は見つけた。
空気抵抗のない空間のなかで、太陽熱と微小隕石を防ぐための、プラスチック膜にアルミニュームをかぶせた材料の取りつけ方は、戦闘機の正面の形の場合よりもさらに〈乱暴な工事〉である。スマートさを欠いているのは、この場合には、本体も同様である。そして、この〈無造作〉な形は、建築的に、きわめて新鮮である。
戦闘機の正面、月着陸船の脚部のような建築があり得るだろうか。すべての背景から形だけを取りだして、〈何々のような形〉をつくることがここで問題ではない。1920年代の近代主義建築の考えを代表する、古典的命題、形と機能との間の対応関係という二項組合せを問題にした設問である。
(『新建築』、1981年9月)

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