致命的な思いあがり

ハイエクは私は滅茶苦茶好きですね。もちろん社会主義的理念をとことん罵倒しているのですが、それが「個」によりなされていること。インテリ=左翼という時代が長く続き、ハイエクは職を得られなかった。押し付けがましい社会主義と戦うには「個」でしかあり得ないというのは、私は真実だと思います。ハイエクは最終的に勝利した。確かに貴族的でしょう。私は主要著作と言われているものを一つも読んでいないが、最後の著作の『致命的な思いあがり』を読んで、十分に満足した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・ハイエク

「ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者 (classical liberal) を自称し、エドマンド・バークに倣いオールドホイッグと呼ばれることを好んでいた。」

「ハイエクの著書は旧共産圏においてこそ熱心に読まれ、その改革の指導者達に大きな影響を与えた。ミルトン・フリードマンは「鉄のカーテンの向こうの共産圏でもっとも影響を与えたのは間違いなくハイエクであった。そこでハイエクの著書は翻訳されアンダーグラウンドにブラックマーケットで行き渡り広く読まれた。ハイエクの思想がソビエト連邦の内部の世論を変え、それを崩壊に導いたのだ」と述べる。」

「「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは、両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけであるとしている。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みであるとしている。貿易についても保護主義を主張し、「強い政府」を求めるとしている。」

ハイエクbot@hayek306·3月13日
保守主義者と違うところは、自分自身の神聖な信念がいかに深遠なものであろうと、他人にその信念を強制する資格をもつとは決して考えないことであり、そして自由主義者にとって聖なるものと俗なるものは異なる領分であり、混同されてはならないと考えたことである。(ハイエク 自由の条件)
https://twitter.com/hayek306/status/1635042567464288259

参照。


「社会主義計算論争は1920年代に始まった。30年代の世界恐慌の現実は、資本主義の「見えざる手」が機能しないことを示し、社会主義の優越性は明らかなようにみえた。多くの進歩的な経済学者は、理論的には社会主義のほうが資源の効率的な配分を実現できると考えた。

しかしハイエクは、それにほとんど一人で反対した。市場経済で処理される情報は膨大であり、それを政府がすべて計算することはできない。現実の社会主義は政府が命令する統制経済であり、それはファシズムに近づいている。

だが30年代に主流だったのは、ケインズの計画経済的な手法だった。それに反対するハイエクは保守反動とみなされ、ヨーロッパでは大学に職を得られなかった。アメリカに渡り、本書がようやく1944年に発表されたときも学界では黙殺された。」

私は『致命的な思いあがり』を読んで、芸術に関しては触れられていないのに、芸術について語っているとしか思えないという主観的感想を各所で持った。「商業」「交易」について、情報の「機密性」の重要性が語られる所など。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?