美術家としての私の真理告白(2)

日本の美術界って、グループ作って自閉するのが私は嫌いなんですよね。これは思うに「戦争」コンプレックスなのだと思うが。戦後生まれは、誰も戦争などしたことないくせにだ。これは所謂、教養では補えない部分。

参照。
ジョルジョ・デ・キリコは第一次世界大戦に際してイタリアに帰国し従軍しようとしたが、「向いていない」と判断され配置から外されたそうだ。
 

Giorgio de Chirico@artistdechirico·8時間
Unlike the trademark motifs which thrive in my renowned pieces, you mightn't guess my military service rouged Italy during the most unfortunate of times. Conscripted yet diverted: my brush allied with Duty.

Googleによる英語からの翻訳
私の有名な作品によく使われるトレードマークのモチーフとは異なり、私の兵役が最も不幸な時代にイタリアを襲ったとは想像できないかもしれません。徴兵されているが転用されている:私の筆は義務と同盟を結んでいる。
https://twitter.com/artistdechirico/status/1762709081851146325

 
At the outbreak of World War I, he returned to Italy. Upon his arrival in May 1915, he enlisted in the army, but he was considered unfit for work and assigned to the hospital at Ferrara.

Googleによる英語からの翻訳
第一次世界大戦が勃発すると、彼はイタリアに戻った。 1915 年 5 月に到着すると、彼は軍隊に入隊しましたが、仕事には不向きであるとみなされ、フェラーラの病院に配属されました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Giorgio_de_Chirico

 
ぐだぐだ言い訳せず、日本人もこういうのがいいよな。イノベーションを中心に本当に考えるなら。年季の入った、「戦争ごっこ」は皆止めて。それは本当に恥ずかしいことだから。
 

「ソフィストと呼ばれるソクラテス以前の自然哲学者は互いを自由に批判し、タレスやアナクシマンドロスは弟子が師匠を批判することを奨励した、とポパーは書いている。彼らは原子論やピタゴラスの定理などの自然哲学を生んだ。」

「古代ギリシャの自然哲学は、ローマ帝国に継承されなかった。それがイスラム圏を通じて中世ヨーロッパに伝えられ、自然科学を生んだのは、その1700年も後だった。」
https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52082068.html

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