東谷隆司、覚書

2012年に死んだ学芸員・東谷隆司の孕んでいた問題は今でも深刻で、私が個人的に彼と付き合いがあった範囲を超えて、普遍的なものである。東谷は「もうマンガはいいよ」と言って、「本物の芸術」を求めたが、それが何かはおそらく(いや完全に)見えていなかった。自身がマンガ(=アート)に他のどの学芸員よりも深く関わり、それにより地歩を築いてたことに理由を回収できない。美術史に対する深い教養の無さ、と言えばそれまでである。足元が全く見えていない。

(「遅い思考」は、10年、20年、30年かけて、瞬時に結論する。それに対して、標的を定める前に発射された「早い思考」は、専ら原始的な頭脳による。自己から距離をおいた「対象」を持たない。例えば「恋愛」における。それが空へ発射される目的は、平たく言えば、自らが属する「部族」を守るため。)

「部族」感情に還元された、日本の現代アートは、私は危ないと思いますね。「市場」規模が諸外国に比べて小さい事を言い訳にしているが、それでも死者は出る。一番の要因は、「対象」を本当は持っていないのに、持っているフリをするということ。

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