ドキュメンタリー映画 僕たちの嘘と真実が意味するものとは

まず話を始める前にふと自分と欅坂の出会いを思い出しました。2017年の3月、たまたま流れてきた画像に衝撃が走り「なにこの可愛い子!?」となったのが長濱ねるちゃんでした。そこからは無我夢中でブログを読みあさり一瞬で好きになりました。その後「不協和音」がリリースされCDを買い握手会に行こうと決めました。この時点での欅坂のイメージはサイレントマジョリティーだったので不協和音に対しても従来のアイドルらしくないスタイルで突き進むんだなと言った印象でした。

様々なメンバーを見ていくうちにやがて推しは長沢菜々香ちゃんになりました。私は一期生というものがどこのグループにおいても好きなのでだんだんと卒業していくメンバー、変わりゆく環境、なかなか動き出さないグループ、そして最推しであるなーこ(=長沢菜々香)の卒業を機に私も欅坂を追うことをやめようと決意した上で最後のイベントとして観に行ったのがこの映画になります。推しに関しては卒業後の報道や行動により私自身様々な感情を抱き彼女のことについてはまだ整理できていません。好き、嫌いでは判断できないのでこの文中では''推しにフォーカスを当てるのではなくグループ全体に向けた感想を述べたいと思います。


まずタイトルでもある「僕たちの嘘と真実」について。私はこの3年間、欅坂メンバーに対して嘘をついていると感じたことも考えたこともありません。むしろ彼女たちはいつでも素直でした。素直、優しさが故の今の現状だと思っています。嘘をついていると感じた先は大人たちです。運営と一括りにしますが、運営は私たちに今まで''説明すること''を放棄してきたように思えます。それは一人一人が納得するものといったハードルの高いものではなく現状どのようになっているかをひたすらに隠し誤魔化し責任をキャプテンである菅井友香1人に謝罪させそれでことなきを得ていたという大人の逃げが不信感や停滞期を生み出したのではないでしょうか?TAKAHIRO先生が見守ることについて述べていましたがパフォーマンスチームを除く運営はその見守ることに特化しすぎた故に誰も大人として手を差し伸べたり道を指し示したりしなかったのではないかとも考えました。

ここまで私たち欅坂ファンが運営に対して大きな感情を持っているのはそれを知らない他人側から見ると異常かもしれません。異常だったのです。私はゆっかーが謝る姿を何度も見てきました。キャプテンとしての役割を超える時もあったでしょう。僕たちの嘘は大人への風刺だと捉えました。


次に9枚目について。黒い羊は全部僕のせいだという歌詞の通り主人公の僕に全ての責任を押し付け白い羊たちを正当化する一面もあります。白い羊とは違う、楽曲が示す黒い羊という存在、そしてこの曲に救われたという人もたくさんいると思いますが主人公である僕は救われていません。僕がみんなの分まで背負っているのです。そして僕に寄り添い1番近い存在でいようとしたセンターの平手友梨奈が自分は黒い羊であると彼女自身をより孤独化させた、そんな楽曲ではないのでしょうか。不協和音から孤独、重圧、表現に対する悩みを抱えた平手友梨奈(=主人公である僕)を救うような、仲間が、周りが助けてやる!そんな別の強い意志を持った楽曲ならまた変わっていたのかもしれない、とたらればを感じずにはいられませんでした。

というのも絶対的センターにのしかかるプレッシャーを取り除こうとしなかった、できなかった責任はファンにもあると思っています。彼女たちがどう表現するか長い間迷っていたにも関わらず平手を求め続けてしまった。他にセンターをやりたがっているメンバーもいたのにそれを拒否するような風潮が存在していたのも確かです。(ガラスを割れ!期間にゆいちゃんず、おもにずーみんが声を上げていますがその気持ちをつぶすような意見も多く見られました) 今はずーみんみたいな人がいたら…と意見してる人も見られますがゆいちゃんずがBRODYでインタビューを受けた記事が出た後の2人へのバッシングがありそこで余計脱平手化を望むメンバーと平手を望むメンバーの溝も生まれてしまったと思います。(ファンも含めて)


最後に。冒頭でも述べたようにこれは私にとって最後の欅坂のイベントであり応援し続けた数年に別れを告げるために観に行ったつもりでしたがむしろこの映画を見て今後の欅坂を見守りたい、そんな風に思いました。どのメンバーももがき苦しみ、それでも尚楽曲を伝えようとしてくれている、欅坂でいようとしてくれている、そんな彼女たちの真っ直ぐさが愛おしくなりました。映画を通してよりみんな誰かを思いやり自己を犠牲にするが余り歯車がズレてしまったと感じました。アイドル=AKB48のような明るいアイドル像を思い浮かべますがアイドルの始まりでもある昭和の時代から振り返ると多様な形でアイドルが存在していたことがわかります。そもそも絶対的なアイドルなんてものはないのです。何故ならアイドルは偶像を意味し定義されているものではないから。また欅坂は良くも悪くもネット時代に振り回されたと印象を受けていますがだからこそ私たちにメンバーに口出しする権利はないと考えています。映画の感想を見ているとこの時こうしていたら良かったんじゃない?と持論を語っている人が多く存在します。私もその1人ですが。あの時こうしたら良かったなって事は成長した今のメンバーこそ強く思っているのではないか、だからこそこれから始まる新たな道に向けて強い意志を持って進んでいくのだと思います。私はこの映画を見て欅坂の事が自分で思うよりも好きだったのだと率直に感じています。涙が止まらず頭が痛くなるほど苦しくなるシーンばかりでしたがこれからもずっと見守り続けたいです。ありがとうの感謝の気持ちが消える事はありません。

◎ここまで読んでくださった方がいるかわかりませんがもし読んでくださったのなら本当にありがとうございます!

ブログ記事にも満たない書き殴った文章なので大変に読みづらく抽象的な表現も多いので分かりづらいかも知れませんが… 

たくさんの人にこの映画が届きますように。

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