2018年のI•KI•ZA•MA
クリスマスもすぎて2018年、終わりますね。
個人的に今年はメモリアルイヤーだった気がしてます。まだ20年しか生きてないけどね。
来年も多分メモリアルイヤー、死ぬまでメモリアルイヤーだよ。
早速ですが、2018年は色々な事において、「結果が出た年じゃないかなぁー」と勝手に振り返ってます。身を結ぶというか今まで蒔いてきた種が花開くような感覚でした。(なんか真面目な感じなの嫌だな!肩の力ぬいてこーぜ!)
例えば、留学は中学生からの夢でやっと芽が出たという感じですかね。まだ芽。花を開くのは留学中、もしくは留学後なんじゃないかと思っているわけです。
改めて今年の大きなタイトルをつけるとしたら
ゲイ、はじめの一歩。
という感じでしょうか。相変わらず、キャッチコピーのセンスがないのだけどそれは愛嬌ってことで。
もちろん僕の人生はゲイという要素だけじゃないのだけど、一番悩んで、悩んだ分得られたものがあった1年だった気がしてます。
まず、今年20才になりました。ここから「どうしようかなぁ」とちょくちょくと考え始めたわけです。「人と会わんといけないのかなぁー、アプリ始めた方が良いのかなぁー」みたいなね。
なぜ20才になってそういうことを考えたのかというと、正直な話、ゲイの人会うにはお酒を飲めないといけないと思ってたからです(笑)。あとはトラブルに巻き込まれても、誰にも迷惑かけたくないし。20才なら法律上はね?
だから初めてネットでゲイの人と会ったのは20才になってから。少しばかり20才になるまでの過程を。(ちょっと辛い話かもです、すみません!)
時を遡り、DCへ。ワシントンD.C.じゃないよ。男子中学生だよ。
中学生の頃には「あー僕は男の人が好きなのだなぁ」と潜在的な気持ちから女の子からの告白を振ってしまったことがありました。この頃はゲイの自覚はあまりなくて、ただ単に女の子に友達以上の感情が湧かないって感じに近かったです。実際は男の先生を目で追っていたり、教育実習の一環で来ていたかっこいい男子大学生にドキドキしてました。
ある時に友人たちとふざけてゲイ動画を見た時に頭から離れなくなってしまった感覚を覚えています。友人と別れた後も何度も自分でサイトを検索した記憶が。。。(このエロガキめ!!という愛のあるお言葉はコメント欄までお願いします笑)
高校生になると、まわりの影響からそれなりに恋愛にも興味が出てきました。「普通」になりたいと思ったので無理に女の子を好きになろうとしていたこともありました。結局なれませんでした。やっぱり好きなのは男の人でした。
高校を卒業する頃にはゲイである事は確信に近かったけれど、自分を認められず不安定でした。好きな英語の勉強をしてても、友達と遊んでいても心の中は何か満たされていなかったです。その原因は、男が好きだなんて誰にも話せないし、恋愛話や下ネタとか友人の話すAV女優の話とか全くついていけなくて辛かった事にあると思います。どういう女の子がタイプなの?とか。全くわからなくて。
今思えばちっちゃいことなんですけど、この頃は大きな悩みでした。
ある意味このような場面に直面するたび「僕はゲイ」という事実が浮き彫りなっていくわけです。認められない自分と現実を突きつけてくる世界の狭間で必死にもがいていました。
そして大学進学を機に東京に出たわけです。僕は田舎の高校出身なので東京の雑多さは未だ苦手ですが、東京に出て良かった。行き交う人々は僕の事などちっとも気にしないで生きています。大都市に映る僕はちっぽけで悩んでいる内心なんてその人達に映らない。それがありがたかった。なんでも好きにやって生きていける街なんじゃないかって広い世界を知りました。
大学1年の頃、「東京に行く」とだけ親に言って、いわゆるLGBTの人が集まる場所みたいなところに1人で行きました。僕の中でLGBTというのはテレビの中の世界だったから。
誰がどのセクシャリティかはわかりませんでしたし、特段話をするのでもなく知り合いができたわけでは無かったけれど、この人達は何かの「違い」を感じている人々である事はすぐにわかりました。
都会の雑踏に紛れた「普通では無い自分」を感じる人達を見て、なんとなく「1人じゃないのだなぁ」思ったのを覚えてます。その2ヶ月後に自分がゲイであると明示したtwitterアカウントなるものを作って、情報を集めるとともに「ゲイでも良いじゃん。」って思えるようになりました。上記にある通り、20才にならないとゲイの人には会えないと勝手に思っていましたのでやっと20になり、(タイミングも相まって)ゲイの人と初めて会うわけです。
はいここまでが、2010?-2017までの僕の超簡略ゲイバナです。長いな。もはや2018年の振り返りではないのは目を瞑ってネ。だけどこの頃の自分がいたから今の僕がいます、ありがとなぁ過去の僕。未来は過去の堆積物って感じです。
まだ途中ですけれど、年末なのにこんな文章を読むのは物好きな方なのかもしれません。でもここまで読んでいただきありがとうございます。
さて。こんな過程を経て、2018年にリアル(ネット上のゲイの人と実際に会うこと)とカミングアウトを初めてしました。
「何事も初めが肝心」とよく言いますが、初めてのリアルもカミングアウトもすごく充実したものだったと思います。
今まで会っていただいた方と過ごした時間は楽しくて、中には相談に乗ってもらったり、何気ない会話をずっとしてた方もいて。本当に最高な出会いでした。
この場を借りてですが、ありがとうございました、今後ともよろしくお願いします!
初めてのカミングアウトは僕の過去記事に詳しいことが書いてあるので、そちらを読んでいただけたら幸いです。後日談として、数ヶ月前に中学生の友人グループと大学の友人数人にもカミングアウトをしました。ありがたいことに、僕がゲイであっても何にも日常は変わりません。そのまま僕がそのままの僕である事を認めてくれる。
カミングアウトって賛否両論ありますよね。
人を選んだ方が良いのは確かです。自分の生きる世界を広くすることも狭くする事も相手次第では変わってくるでしょうし。無理にする事はないし、全員におおっぴらにする必要はないと思っています。
僕のケースでは友人たちと腹を割って話せないのが辛いと感じていたし、何かぎこちない自分が面白くなかった。会話やコミュニケーションの楽しさってのは正直である事にあるんじゃないかなぁって思うし。
加えて、自分の負担を人に背負ってもらった分、余裕ができて人の負担を背負えるというか。優しさの分かち合いみたいなのが上手く出来るようになったのが僕は嬉しいですね。
(この感覚は過去記事「足りないものは人から補えば良いじゃん」に関連しているような気がしてるので興味のある方はどうぞ。)
「悩み事なんて人に話せれば、半分は解決したようなのものでしょう?」
「強運の持ち主」という本(著:瀬尾まいこ) に登場する女子高生の言葉です。言い得て妙。僕もこのスタンスで、話せる場所がある。共感してもらえる人がいる。たくさん頼った分頼られる。それいうのがありがたいんです。人間誰しも悩む事が無くなるわけではないですけど僕なりに解決手段を手に入れたわけです。
ふぅ。久しぶりに本心に近いことば選び、文体、体裁での文章代謝をしたので書き疲れました。。。あと何書こうとしてたっけ。まぁいいか。年末にゲイバナばっかでごめんなさい。サイ。カンナムスタイル。
おわりに。
2018年は熟考していた事をゆっくりと行動に起こした年でした。1つ1つは小さいことかもしれないけれど、ちょっとずつ変化が起きている。ただ振り返っていて、芯はブレていないようで少し安心しました。過去のnote記事にこの1年のエッセンスが散りばめられているのが自分で書いていてよく分かります。
1日とか週単位で見るとやるせない日とかあるけど年単位でみれば総じて、良い年なんだよね毎年。今年も楽しかった!終わりよければ全て良し。つまり死ぬまでハッピーイヤーなわけです(適当)。根が明るいのがバレちゃうなぁ。
2019年も勉強とか趣味とか遊びとかバランスを取りつつ、のほほんと生きていきたいよ。
詳しい事は新年明けてから書くかもしれないし、書かないかもしれない。
そろそろ旅行したいな、カメラを触りたい。それ以前に遊びたい。けれども年末から1月は週単位でレポート、テスト、卒論(まがいのもの)に追われていて YA RU KO TO IPPAIって感じです〜。はよ楽しみな2月にならんかなぁ。
本当に年越すんですか?ってぐらい実感がないです。何はともあれ、こんな振り返りをここまで読んでいただきありがとうございました。皆さま、お体にお気をつけて良いお年をお迎えください!