新しい家族のかたち。

ひいばぁちゃんが好きだった。幼少期には暖かくてシワシワな手を握りながらシワを伸ばしたり、おままごとをやったり、ビー玉を飛ばしたりして遊んだ。優しくせっかち、綺麗好きで世話焼きな人だった。

中学、高校と部活や勉強に忙しく数年に一度しか会えていなかった。なんとなく私も大人になりつつある年頃で会う時間は減っていくのは当然と言えば当然だ。そんなひいばぁちゃんも大学に入学して二か月後に亡くなった。104歳だった。

2020年になり私は留学を半ば強制的に終えて日本に帰ってきた。新型のウイルスによって人と会う事、移動の自粛が要請されていて、街や人のあり方はすっかりと変わってしまった。帰国当初は大学卒業後の進路や海外にいる恋人との今後など多く悩んだが、彼はit is okay not to be okay(大丈夫じゃなくても大丈夫)というフレーズを頻繁に掛けてくれて、オンラインではあるけれどいつもそばにいてくれた。

9月に入り自粛ムードも解け、未だ安全とは言える状況ではないがマスクをつけたり、人をある程度避けるという方法で人に会うことも増えてきた今日この頃。お彼岸という事で、ひいばあちゃんのお墓参りに行った。

田舎の街。人はいない。田んぼに囲まれて高いビルなどない。線香の匂い。全てが懐かしかった。

「先祖様が喜ぶぞ〜」とじぃちゃんとばぁちゃん。

田舎に来ると思うのは、先祖や血族の意識の強さかなと思う。「〇〇さん家の〇〇ちゃんが結婚した」とか、「親戚の性格や顔が親や兄妹と似ているか」とかそんな話を聞く事が多い。

昔はそう言う話を聞くたびに、「(血の繋がった)子どもを見せることはできないし、結婚もしないかもしれない。なんとなく申し訳ない」という気持ちに支配される事は普通だったように感じる。今の自分がいるのもある意味先祖がいるおかげであるし。

数年前にひいばあちゃんに線香をあげる時、「学業がんばるね。あと彼氏欲しい。結婚とかはできないかもしれないけど。」の様な気持ちで線香をあげた気がする。

今年は「俺は新しいかたちの家族を自分で見つけ出すかもしれない。自分の幸せを貫き通すよ、だから見守っていてね。」とお願いをした。

たとえ、私の好きな人が同性で私の子どもが”血縁や先祖に由来する家族”という概念にそぐわないとしても、私たちは家族だと胸を張って生きられるようにすると決めた。今の恋人はそんな夢を一緒に見られる人だと少しずつ思い始めている。

写真立てに写る満面の笑顔のひいばあちゃんならそれを分かってくれる気がした。

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