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人生2度目の島暮らしスタート

1ヶ月間の瀬戸内島暮らしが終わってもう半年が経っていた。
島で人生2.3位を争うくらいの辛い経験をして、1ヶ月間の思い出を全部忘れようとして、東京に帰ってからがむしゃらにたくさんのことに挑戦を始めた。でも忘れられなくて。
1000枚以上に渡る写真も消そうとしたけど、消しかけてやめた。

きっと、ほんとに忘れたかったら写真なんてすぐに消してると思う。
消すことができなかったのは、辛い一部の経験よりももっと素敵な出会いや温かさを覚えていたかったからだと思う。
あの人と最後に電話した時も「楽しかった思い出もたくさんあるんだから、それは忘れないでほしい」って言われた。

この半年間ふとした時にいつも思い出していた。
瀬戸内海を見渡す絶景、島と本土を結ぶぐるぐる回る赤い音戸大橋、国内外の各地から訪れるゲストさん、3日に1回通った地元のお好み焼き食堂、食堂でおしゃべりを楽しんだおばあちゃんたち、島の魅力を一緒に探して発信した地域おこし協力隊の2人、同じ期間に滞在したゲストハウスヘルパーやおてつたび仲間。
風景も関わった人も話した内容もいろんなことが蘇ってくる。

悪い思い出ばかりに強くとらわれていたけど、ほんとは良い思い出もいっぱいあった。

音戸町地域おこし協力隊のおふたりと島を巡った日
本土と繋ぐくるくる音戸大橋
深夜のチャルメララーメン
1ヶ月滞在したゲストハウス

4月からは就活も始まり、ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)では瀬戸内の経験もエントリーシートや面接でアピールポイントとしていた。
自己分析や深掘り質問でその経験を何に活かしたいのかと深く内省した時、地方創生の延長線上に成し遂げたい目標があることに気づいた。
詳細はまた別のnoteで言語化していこうかな。

この目標に気づけた時、しっかり自分の力で成し遂げるには実際の地方創生の現場を自分の目で見て来ないといけないと感じた。

そんなことを考えながらぼんやりと大学の掲示板を眺めていた時「大人の島留学」という募集概要を見つけた。島暮らしをしながら現地の方々と働く内容らしい。派遣先は島根県隠岐郡海士町。本土からフェリーで2時間以上かかる日本海側の島でありアクセスは決して良くない中、地方創生事業が活発に行われていて最近メディアでもよく目にしていた島だった。
「地方創生」「島」このワードに「もうこれはいくしかないでしょ!!!」と惹きつけられてすぐにエントリーシートを出して面接した。

私の思いの熱さですぐに派遣が決まった。
派遣期間、既にバイトなどの予定も入ってたけれど予定を無理してでも全部前にずらして調整させた。

そこまでしてでもこの島で、まだ見えていない「何か」を学んできたい思いがあった。
瀬戸内海の島で得た良い思い出や体感を活かしつつ今回の島で新たな感覚や知識を得てたくさん吸収して、ひと回り大きくなって帰ってきたい。

今日から2週間、海士町での生活頑張ってきます!

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