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多分、の話。

こんばんは、なぁたんです。

半ばアルコールに侵された脳内を綴ろうかな。
(ほろ酔いで綴るのは不謹慎とか言わないでね)


−−−


たぶん。

形を作り制限を設けることで
よいこともあるのだと思うの。

それなりの根拠もあったんだろうと思う、
だからできた制度なんだとも思う、たぶんね。 

なんやかんや言っても人一人の人生を背負うのはなかなかのエネルギーだよね、たぶん。 

嫉妬からくる争いなんかも負だったんだろうな、とか。

制度を作り制約を設け、誰かの負担を軽減する。

狭域個人のためだけれど、
結果として広域多数のためなのかな、とも。


−−−

今のようにできる確率を減らす策もなかっただろう。 


だけれど、今は違う。

だから、制度は制度として、
いろんな背景や状況だとか環境、
なによりも自分。そして、関わる人。

ぐるっと考えて、それでいて
結局は自分がどうしたいか。
どこまで背負えるか。

なのかなーって。

以前に制度に乗る乗らない含めて。

−−−

選択肢は増えたのかもしれないけれど、
その分、何を選択するか。

その鑑識眼みたいなものとか
人間性とか、なにより、どうありたいか。

自分事だけれど、
より、求められる、見られているのかもしれないな、なんて。

−−−

さぁ、もう限界。
文脈も支離滅裂かも。

おやすみなさい。