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何者かになれると信じて生きてきた。気が付いたら10年が一瞬にして過ぎた。

自分はきっと何者かになれるのだろう。と、信じていた15の私は、あっという間に何者でもない25の私へと変貌を遂げていた。何も変わっていないのだから変貌という言葉はおかしいという言葉も聞こえてきそうだが、いや、しっかり変貌している。それは年齢や肉体だけの話ではない。希望に満ち溢れ、まだまだ時間はたっぷりあるはずだった輝かしい若者から、焦りや不安、絶望が頭をよぎりつつも日々もがく、どうしようもない大人へと変貌を遂げたのだ。10年前の自分はいったい何だったのだろう。振り返ったところで時は戻らない。しかし、嘆かわしいことこの上ないのは今の私の率直な気持ちなのである。

大人になると、感性が濁り、心が純粋でなくなることから、柔軟な創造ができなくなるという。子供は誰もが芸術家。希望や才能に満ち溢れ、頭もさえている。偏見や損得勘定、何にも汚されていない透き通った眼には、きっと世界は広く、美しく、壮大に映ったに違いない。

心が子供のままで純粋でいるということは難しいらしい。当然だ。なぜなら人間は知らなかった頃には戻ることができない生き物だからだ。機械のようにボタン一つで特定の記憶のみをピンポイントで抹消したり、都合のいいように改ざんしたり、すべてをリセットすることもできないのだ。知ってしまったことを、さも知らない風にふるまったり、見えているものに無理やり蓋をしてしまう行為も純粋とは言えない。自分が自分の目で見るよりも先に何かについて事前に知ってしまった場合、すでにオリジナルではない、混じりけだらけの心と頭の中から自分の本当の心の声を抽出するのは容易ではないように思う。

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柊夕美子
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