掌編小説 / 透明
どこか遠く離れても、きっと消えない。
だって記憶は厄介だから。
「中々、言えなくて」
あなたは少し笑った。
「大丈夫。ありがとう」
少し離れたところで、西から広がっていく夕焼けを眺める。涙ぐんだその声はもう消えた。
「もう、いいんだよ」
振り返ったその瞳が、じっとこちらを見てくるのを、静かに感じる。
「いいんだ」
言い捨てたわけではなかった。けれど期待も、してはいなかった。
何時間も話をした。
夕焼けは次第に消えて、空はまるで、命すらも奪ってしまいそうな暗がりへと、世界を変えていった。
「それは保証するから。だからもう」
どこか遠くへと消えていく、一羽の鳥。
「もう泣くな」
次第に海風は消え、静かに打つ波が微かに聞こえる。その波もまた、静まっていく。
「あのさ、本当はね」
あなたがそう言いかけた時、知らぬ間に抱きしめていた。
「そんなに喋らないで。感情が薄れる」
後悔はない。そう思った。
「…そうだね。ありがとう」
服は涙で濡れ、その眼もまた、少しだけ潤んでいた。
迷い。偽り。晒い。
瞑った眼に入る光は明滅し、時間は、ゆっくりゆっくり溶けていく。
「私は、誰なの」
じゃれあったって、余計に寂しくなるだけだからもう何もしない。
「わからない」
乗ってきた自転車は、いつの間にか海風で倒れていた。
服の湿度を頼りにその温もりを思い出す。
まだ少しだけ赤が滲む海面で、二人は透明色に染まっていく。