エッセイ / 花束

 最近wowakaという人の曲を聴いている。

 米津玄師が彼のことを「基本的な人生のBPMが違う感じがした」といったように、wowakaの音楽は独創性の塊、誰も寄せつけない魅力があると感じる。

 『もういない人への印象』について考えた。

 この世からいなくなった人に新しくオリジナリティがうまれることはなくて、過去作品やその生き様に浸ることしかできない。

 対して今生きている人へは、単に最近の印象だったり、「昔はこうだったけど今はこうなんだ」とか「次はこういうことをするんだ」とか思うのが一般的だと思う。

 もういない人にはそれがない。

 前者には必ず『生前最期の作品』があって、『死後』というエフェクトがかかって見えた作品へのリアクションは本人に届かない。

 生前から知っている人ならまだ説得力があるかもしれないけれど、後に偶然その人を知った場合は、正直どう感じることが前向きなのかよく分からない。前向きに感じることが善なのかもわからない。

 複雑な言葉やらメロディやら絵画やら、主観的な美しさに満ちたであろう作品と、生前を知る人からの間接的な人格像だけが残る。

 そこからどう思えるかなんて、そもそもきっと答えもないんじゃないかとも思う。

 もちろん後に知ったからといってその人の作品に口を出すな、というのは違うし、かといって期待ができる訳でもない。

 難しい。

 よくよく考えれば今生きている人に対しても「次の作品はこうなんじゃないか」と予想して当たることなんてほとんどないし、それは死者であろうとなかろうと結局本人しか知らないのだけど。

 時が経って、今生きている人もいつか死んで、大衆の記憶の中で生き続けることになった時にどう思うかは、その時の世間や対象者によって違うだろうけど、個人的には少なくとも失礼なく向き合いたいと思った。

 『青』とか『ハグレノカラー』とかとても良いので聴いてみてください。

 個人的には最近取り掛かってる制作物が多くて脳が混乱しがちなので音楽に助けられる毎日を送っています。

 見通しはよく分からないけれどどこかで見せられるものもあると思うので頑張ります。

 改めていつも読んでくださり感謝です。

 ではまた。

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