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勇気の先で得たもの

初めてのnote。
気仙沼から東京に向かうバスの中で書いてみる。

気仙沼に行くと言う決断は、人生の中で最も大きな決断だった。知らない土地に、1人で向かう不安に加えて、人が怖かった私が人の輪の中に入っていくことの恐怖は、計り知れないほど大きなものだった。

それでも、「生きることの意味」が欲しくて、誰かが答えを持っている気がして、涙を流しながら気仙沼に向かった。そこで得た答えを、東京に戻って頑張って生きていく糧にしたいと思っていた。

でも、気仙沼で得たものは生きる意味ではなくて、
「生きる楽しさ」だった。

みんなの笑顔には嘘がなくて、幸せで溢れて輝いていた。楽しいってだけで生きていていいんだと思えたら、自分の可能性に心が躍り、明日が待ち遠しくなった。

初めは客観的に見ていたその輝きに、いつの間にか自分も入れた気がして、嬉しくなる。心の底から笑ったのは、いつぶりだろう。そんなこと考えながら、また笑う。

生きるってこういうことなのだと感じた。

生まれてきたときは、命の尊さを語るのに歩き始めれば、"足が速いか"に着目し、字が読めるようになれば"勉強ができるか"に焦点を当てる。

生きていることはあたりまえとされて、生きている中で残した成果で人と比べるようになる。成果が残せないと、自分を殺してまで人のために動き、自分の存在さえ否定してしまうこともある。

私もそうだった。なのに、気仙沼のみんなが私を認めてくれた。飾らない私を受け入れてくれた。

行きは不安で泣いていたのに、帰りはみんなとの思い出や出会えたことへの感謝、自分の気持ちの変化に気づいて涙が止まらない。

これは幸せの涙。みんながくれた優しさが胸を満たし、目から溢れる。大切な一滴だけど、溢れても大丈夫。
足りなくなったら、帰れる場所があるから。

東京に戻るのも怖くない。
環境は変わっていないけど、私は変わった。今の自分となら、どこにいても楽しく生きていける。そんな気がする。

これからどんな楽しいことが待っているだろう。
次みんなに会える時には、もう一段階変わった自分でいたい。

そのためにも、今日も明日もたくさん笑おう。

みんなありがとう。気仙沼ありがとう。
ゆっくり、楽しく生きるを追求していきます。

一旦さよなら。
また会える日を心待ちにしています(^^)


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