ぼくのための結婚式

20代も後半にさしかかると同僚や友人の結婚式に呼ばれる回数も多くなり、ここ最近では年に1回は誰かの結婚式に呼ばれている気がする。

かく言うぼくも去年の2月に挙式したのだが、どうしても他の人の結婚式に出席すると自分の結婚式とくらべてしまってつい「もっとこうすればよかったな…」と思ってしまう。
だから結婚式に呼ばれるのはすごく嬉しいことなのだがどうしても比べてしまい、劣等感じみたものに襲われて心から喜べないのである。

具体的なものを挙げていくと
・ご祝儀よりも食事代として参列者からお金を受け取ったほうが負担にならなくてよかったのではないか
・装花のかざりつけをケチらないでもっと豪華なものにすればよかった
・サンドセレモニーは参列者が遠慮して砂を多く入れてくれないためスカスカになってしまうから別のものにすればよかった
・演出にもっとお金をかければよかった
・友人たちをもっとたくさん呼べばよかった

と、かなり悔いが残るというか終わってみて気がつくことがたくさんあった。
家は2回建てないと満足できないというように、結婚式も2回目から心から満足できるものを作りあげれるのではないだろうか

結婚式の準備の段階でぼくは妻が満足できればそれでいいと思っていた。というのも女の人にとって、一生に一度はウエディングドレスを着たいという思いはいつの時代になっても不滅の概念であるし、それを大勢の人にみてもらいたいという気持ちは理解していたからだ。
しかし、終わってみて気がついたことがある。
これは妻のための結婚式でもあるが、ぼくのための結婚式でもあると。
笑顔でぼくに拍手をくれる保育園時代からの友人や乾杯のスピーチをする同じ部活だった友人を見て、もっと大勢の友人を呼べばよかった、と

結婚式の準備中、ぼくは妻の意見を尊重し過ぎてしまった。
新郎側と新婦側で人数が偏るためできるだけ同じにして欲しい、絶対にサンドセレモニーをしたい、挙式中の音楽は全部自分が決めたい、など。
話し合いの段階でかなり妻と衝突した。本当に上手くいっていないカップルは、揉み合い、話がまとまらず、挙式をすることが不可能なのではないかと思うくらい。
これ以上争いたくない。穏便にすませたいという心理も働いたせいなのかもしれない。
結婚式では自分を犠牲にするとか、我慢するという意識が準備段階で生まれてしまったら、挙式後、「やっぱりああすればよかった…」という思いが残ってしまうかもしれない。
だからパートナーとどれだけ衝突しようと、曲げれないものは貫いたほうがいい。

また暗い話になって申し訳ないです…

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