自己肯定感
自己愛の強い同期といま仕事をしている。
自己愛の強いとは、自分で自分のことをどこまでも信じられてる状態のことをさしている。
まぶしくて正面から向き合えない、と思うほど、彼女は自分に自信があって、誰からみても魅力的にうつる。
きっと自分を大切にできている人は、
当たり前のように誰かを大切にすべきだと
考えていて、しかも実際に大切にできるほどの
心の余裕がある。
自分を大切にできていない人は、
自分のことで精一杯だったり、
自らが満たされていないからこそ
誰かを傷つけてしまうこともあるのだと思う。
そんな対照的な彼女を日々目の当たりにしていると、自分の存在が真っ向から否定されているようで、元気がなくなる。余裕がないときは被害者ヅラすらしてしまう。
こんな自分をかえたい。
だってこんなのただ辛いだけ。
人のせいにするのは良くないが、
わたしがこんななのは、母親の影響も大きいのだと思う。母親はこどものすることなすことを否定することが多い。心配がゆえ、真っ向から否定する。
私が転職活動もしながら今の仕事も頑張って、引越しの準備を少しずつ進めようとしている的なことをいったとき、「そんな器用なことあんたにできるわけない」と真っ向から否定された。
それに対して私も「そんな器用なことうちができるわけないけどね」、母親の言葉をうけ、自らで自分のことを否定した。
自分も、実の親も認めてあげられないなら
誰が認めてあげられるのだろうか。
母はしまいには、「私のいうことがきけないならもう勝手にしなよ」とそっぽをむけ、言い放つ。
まるでさも私が悪いかのように。
もうどうしたらいいのかわからない。
まずは、相談する人をまちがえた。
相談した私も、母の言うことがあまりにも納得のいかないものだったから、イライラして母のいうこと全部否定した。
母も私のことを否定しだした。
あ、これ私が悪いのか。
私も母のことを否定しているのだ。
母のことはとても尊敬しているが、言うことには説得力がなく納得できないので否定しがち。
私も、母も満たされていないから、
お互いがお互いのことを攻撃する。
そんなの悪循環。まずは私が攻撃するのをやめる。いますぐに。
父はそんな母を許容できる器があるから
うまくいっている。
母のような社交性と
父のような器がある人間になりたい。