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てきとうな暮らしがしたい

9月後半のあれこれ。2歳の誕生日を控えた次男が、良い感じにやんちゃにしあがりつつあり、我が家はカオス。


てきとうな暮らしがしたい

ていねいな暮らしっていいな、と思っていた時期があった。

毎日、家庭菜園からとってきたみずみずしい野菜や市場で買った魚を使ってていねいにつくった料理を、すてきな器に盛り付けて、家族全員で笑顔でいただきますをする。夕暮れ時には散歩をしたり、月や星を眺めたり。子どもたちが寝たら読書をして文章を書く。ハーブティーを飲む。
朝が来たらはやくから起きてきて家のことはすませてしまって、子どもたちとパンを焼いたり、ジューサーでフルーツスムージーをつくる。休日には、子どもたちにのんびり読み聞かせをしたり、お絵描きをさせてやったりする。部屋にはもちろん、庭で摘んできた草花をそのまま飾ったり、ドライフラワーにして飾ったりする。センス良く。

でもそんな素敵なことはできなかった。
わたしは、子どもが産まれる前は仕事が忙しいと思っていて、子どもが産まれたら家事育児と仕事で忙しいと思っている。きっとこのさきもずっと、なにかしらで忙しいと思っていて、自分のなかでの優先順位の上位に「ていねいな暮らし」が来ることはないと思う。

最近はもう、人にはそれぞれちょうどいい塩梅というものがあって、わたしには世間一般にほめそやされていたていねいな暮らしは絶対に無理だとわかっているし、わたしたち家族なりのてきとうな暮らし、適当な暮らしを目指している。

家族全員で、朝から晩までパジャマでごろごろしていたっていいし、お腹がすいた人から順番にバナナやリンゴや食パンを食べたっていい。ちゃんとした晩ごはんをつくるのは2日に1回くらい(本音は週に2回くらい)にして、あとは庭でお肉や野菜をじゅうじゅう焼いて塩とかタレをつけて適当に食べたい。

夜はクマの親子みたいにぐうぐう眠る日もあれば、ブラックコーヒーをキメて真剣に仕事をやっつけてしまう日もあれば、ひとりでお酒を飲む日もあって、日々の学びとか成長とかできることできないことどうだってよくて、ただ今、幸福だと思える今を連続させていくことだけを気ままに続けたい。

そんな、てきとうな暮らしがしたい。

Siriと尻

季節の変わり目で体調を崩した長男が、2日間、保育園をおやすみした。1日目は熱でほてった顔をして声もがらがらしていて苦しそうで、だるんと力なかった彼はしかし、2日目はすっかり元気100%。
けれど悲しいかな、彼が通う保育園には、解熱後24時間は登園できない決まりがある。

しょうがないので、2日目の息子は、家で仕事をしているわたしのそばで、映画を見たりごろごろしたりしていた。

仕事をしていて気づかなかったのだけれど、午後、たいくつでたまらなくなった彼は、わたしのiPhoneでSiriを会話をして遊んでいたらしい。しばらくは「いつ生まれたの?」や「おもしろい話をして」とたわいもない会話をしていたらしいが、突然、Siriが「あはははははははははは」と乾いた声で爆笑したらしい。わたしもその狂気の声を聞いた。

長男はあまりの恐怖に顔をくしゃくしゃにして泣き出し、それからというもの、同じ部屋のなかなのに、ちょっと冷蔵庫にアイスを取りに行くのも、歯磨きをしに行くのも、トイレに行くのも、お風呂や就寝は当然のごとく、

「まま、いっしょに来て」。

わたしは近頃、彼が用を足すときはいつも、トイレのドア全開で用を足す彼を開け放たれたドアの前で待っている。正直めんどうくさいのだが、ちょっとでもわたしの姿が見えなくなるとあわれっぽい声を出して「こわいよ~、こわいよ~」というので、やむをえない。

しかも、用を足すあいだ目と目をあわせて見つめ合っていなければならないので、しょうがなく息子のつぶらな瞳をみつめている。

気持ちよさそうにおしっこをするので、排せつってすっきりするもんねと当たり前のことを思いながらぼーっとしていたら、突然、実家の和式トイレを思い出した。

実家の和式トイレはドアに背を向けて用を足すような配置のトイレで、わたしは背後に誰かいたらどうしようかと思って怖くて、日暮れのあとのトイレはかならず親についてきてもらっていた。そして、息子と同じようにドア全開で、わたしのほうは目と目で見つめ合うのではなくおしりを見守ってもらいながら、用を足していた。

産まれて、育って、保育者の愛を求めて、自立して、そしてこんどは愛を求められている。めぐりめぐっている。

翻訳こんにゃく

わたしは今、次男に関する同時通訳者として非常に価値を発揮している。

「にゅーにゅう(牛乳)、(飲)む」
「ねんにん(ペンギン)」
「(ち)がう」
「ぴん(プリン)、(食べ)る」

などなど、わたしにしかわからない次男語録はたくさんある。わたしはだいたいわかる。だいたいわかるのって、すごい。わたしすごい。

長男のときは、正直わからなかった。
彼が1歳になって保育園に通い始めてから、ちょうど言葉が増え始めた時期に、仕事が忙しくなって、あまり彼と向き合うことができていなかったからだと思う。
否、仕事のせいにしたけれど、長男は第一子だったのでその責任とあとに引くことができない恐れがあって、彼自身に向き合うまでに結構時間が必要だったから、彼のかわいいあかちゃん言葉に耳を澄ますことができていなかったのだと思う。ここだけの話、わたしの母性が全開になったのは、長男が3歳くらいになってからだったと思う。

母性が全開になるタイミングはひとそれぞれ。

中秋のホットケーキ

昨日、脳にかすみがかかったみたいにモヤモヤしていて、なぜだろうと思って夜に空を見上げたら、中秋の名月だった。今夜も、月がきれい。昨日は金色にすんだ満月で、今日はきいろいホットケーキみたいなぶあつい月。

ちょうど、人間が夕日にたいして感じる宗教性についての対談の記録を読んだところだったので、夕日に代わって存在感を増す月を、わたしたち人間がどうとらえていたのかについて考えた。

西洋では、狂気や、心理的な苦しさ。
日本ではどうたったんだろうか。

明日の朝はホットケーキにしようと思う。


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