母の記憶
5歳の長男と1歳の次男を連れて、実家に帰省している。
実家には父と母がいる。2人とも長く教師として働き、数年前に定年退職して、今は地域の福祉や教育に関わる仕事を週に数回続けている。
実家には弟もいる。何事にも丁寧で、慎重で、物腰のやわらかい、でも少し頑固な、大きな熊さんみたいな弟である。
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5歳の長男は、口達者で、自我が強くて、ちょっとひねくれている。甘えたいのに逆のことを言ったりする。相手の発言の論理的ほころびを鋭く指摘してきたりして、四六時中付き合っている私は、ときおり「きーっ」となる。
「きーっ」となって、思わず強い言葉で叱ってしまう。
その言葉を、数日後に私に向けて彼が使う。自分の未熟さを時間差で突きつけられるので、ふがいないやら腹が立つやらである。
1歳の次男は、あと3カ月で2歳。少しずつ言葉が増えてきて、とてもかわいい。今彼は、アンパンマンを愛している。最初に出た2語文は「あんぱんまん(見)たい」。「てんてんどんどん」と小さなくちびるを尖らせて歌う。内弁慶だが、少し慣れてくると、床に座っている人の背中に飛びついてぶらさがる。熱いからだは、まだとても軽い。
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子育てをしていると、子どもたちと暮らす今の光景と、自分の子ども時代の情景がオーバーラップすることがある。子ども時代の情景は感情の記憶を伴うので、母としての視点で、子ども時代の感情を思い出す。その瞬間、現在のある時点と過去のある時点が重なって、不可逆に流れているはずの時間の概念がゆらぐ。
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今日、父と母と、弟と、私と子どもたちで夕飯を食べているとき、次男がおもむろに「てんてんどんどん」と歌った。それを聞いて、母が、
「○○(弟)が2歳か3歳の頃、てんどんまんが大好きで、よく同じように歌っていた。料理をしている自分の足元に歌いながらやってきて、頭のお椀を開けるふりをして、『たべる?』と聞いてきた。かわいくてかわいくて。」
と言った。私たちは、「〇〇はもうおじさんなのに、お母さんには今も2歳か3歳の小さな男の子とそう変わらないんでしょう。」と笑った。
母はよく、「もう一度子育てしていた時期に戻れたら、今度はもっとこうするのに、ああするのに」と言う。仕事が忙しいなかでいっしょうけんめい育ててもらったと思うが、確かに母は忙しかった。
そんな母は退職して、「もう一生分働いたと思うから、仕事はできる限りしない」と言って、古い浴衣をほどいて洋服に仕立て直したり、手に余っていた庭を綺麗にしてどこかにとっておいた細竹で生け垣を作ったり、私が産まれたときに植えたサクランボの木から収穫した実でジャムや果実酒を作ったりしていて、なかなか楽しそう。楽しそうだけれど、あんなに好きだったお酒はほとんど飲めなくなったし、体調が悪い日が増えたし、少し線が細くなった。
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今、子どもたちは私と一緒にいるあいだ中「ママ、ママ」と言っているし、何気ないことで大喜びしてくれるのと同じくらいどうでもいいことで怒るし泣く。私は絶対に口には出さないけれど、ちょっと煩わしいと思うことがあるし、「ちょっとでいいから黙っていよう」とか、「ちょっとだけママをひとりにしてくれ~」とお願いすることがある。聞いてくれたためしはないので定期的に疲れ果てて、たまに夫にお願いしてエスケープする(残業とか、職場の飲み会とか、正当っぽい理由をつけて)。
そんなことを思ったり言ったりしながらも、子どもたちはすぐに大きくなって、「ママ、ママ」と呼んでしがみついてくることはなくなるのだということも、もちろん知っている。
それでも今は煩わしいと思うことがあるし、ひとりにだってなりたい。そして、母と同じように、未来の静かな暮らしのなかで「もう一度子育てしていた時期に戻れたら、今度はもっとこうするのに、ああするのに」と思いながら、撮りためた写真や動画を見て、薄れゆく記憶の輪郭をなぞり、忘れられない情景を何度も思い描くのだろうと思う。
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子どもたちと暮らす今の光景と、自分の子ども時代の情景、そして、子どもたちの今を通して知る母の記憶。
現在と過去と未来が重なる瞬間が少しでも長く続くことを願いながら、この文章を書いている。