心のなかの悪魔
くるりが”thaw”という未発表曲集を配信で出すというのは聞いていたけれども、そもそも配信で音楽を買う習慣が無いというのと、その他諸々で放置していた。
それが昨日、CDの発売日だということでアルバム一曲目”心のなかの悪魔”のMVが全編公開されていたので、見てみたら、良かった。
あ、好きだった頃のくるりだ・・・と思った。
きちんと作品のコンセプトを読むことすらしていなかったので、昔の曲を今の編成で録り直して出すものかと思い込んでいたんだけれども、違ったようだ。
そこにあったのは、311、312を経て京都へ帰り、その後「誰かのために働く」「俺も親父だ」と環境、生活、心境も変化し、みんなのうたや子ども番組の曲を作り、もはや子どもがいることや育児をしていることを公言するようになった今の岸田氏とは決定的に隔てられた、昔のくるりの世界であり音楽だった。私はそれを愛していた。
一方、ざわざわする感じもした。フジファブリックのアルバム"MUSIC"のような、整えられていない(整えられない?)、息遣いまでも感じられそうな、ある意味生々しい揺らぎのある音たち。それが、歌詞やMVのラフな漫画のスケッチ(?)と絶妙によく合っていた。
同じように過去作品の発掘として公開され(私は聴いた時にショックを受け)た「その線は水平線」とは異なるアプローチだけれども、とても魅力的だった。けれどもやはり、いやそれにしても、得体の知れぬざわざわ感が・・・
何だこりゃ?と思って、調べてみたら、なんとnoteの中にセルフライナーノーツがあった。そして理由がわかった。
この曲は『魂のゆくえ』レコーディング期に、岸田氏佐藤さんと、当時のサポートとしてお馴染みだったBOBOさん、そして世武裕子さんによって一発録りされたものだった。
私が魂の時期を境にくるりから離れていってしまった理由の一つに、鍵盤の存在が透ける曲に耐えられないというのがあったんだけれども、この曲を聴いた時、良いなと思った一方で感じたざわざわも同じものだったんだ。。。(変わらないな私。。。)
もちろん今の状況は当時と全く違うわけで、
「抑制の効いたトーンながらエモーショナルに歌に寄り添う世武裕子さんのピアノが素晴らしく、改めて彼女とご一緒できたことを嬉しく思います。」と記述されていたのを見て、
ああ、こう言えるようになったから蔵出しできるようになったんだ、と。
そしてそれは、上にも書いたような311、312を経て京都へ戻り、家庭を築き、生活するようになったこの間の様々な変化と時間の流れが作り出したんだろうなと思った。(加えて、このアルバムを作り出すきっかけとなったコロナ禍は、311と同様、岸田氏だけでなく私や社会にとっても決定的な影響を与えることになるものなんだよな、とも。)
孤独、不安定、どうしようもないやり場のない気持ちや衝動、傷つけ傷つけられる、それでも求める誰か、葛藤や暴力性をも伴う存在への切望、希求、それに対峙する自分。
そこにあったのは、確かなものを得て、共に地に根を張り歩み、育んでいくことを選択、実践している世界とは大きく隔てられている、くるりから失われていった世界だった。
欠けた埋まらないピースを探し求めている世界と、ピースを見つけ埋め満たされている世界は決定的に違う。
しかし今回ライナーノーツを読み、"thaw"が実は本当にいわゆる「俺得」なアルバムだったということが判明したので、きちんとCDを買わなきゃと思った次第です。そして、相変わらず自分がこじらせファンだという事実にも直面しました。。
悪魔を飼うのも大変だよね。