Memento mori.
少し前に、身近で予想だにしていなかった方が急逝した。
一緒にチームを組んでいて、半分は公的な関わりをしていたわけだけれども、おいしいもの好きというのもあって一緒に女子会をしたりと、私的な付き合いもあった。いいお姉さんだった。
週末のことだったらしい。その週も当たり前にやり取りをしていて、特に変わったことはなかった。少しお疲れなのかなと思うことはあったけれど、いつもの通りに「コロナ気をつけましょう」なんて言い合って、翌週の「また」があることを疑いもしていなかった。
心筋梗塞。まだまだ若くていつも明るく元気だった。周りも驚愕したけれど、きっと本人が一番驚いているんだと思う。時節柄、家族葬のみ、お花なども辞退とのご意向だった。未だに信じられないという気持ちはありながらも、物理的な空白は大きく、ここしばらくおそろしくバタバタしていた。
考えてみればこの間、形だけの新政権が発足し、季節もあれだけ暑くなかなか終わらないと思っていた夏から秋へ移っていった。10月はじめには東証のシステムダウン、アメリカ大統領のコロナ感染なんて、大きなことが起こった。いずれも今後の色々に大きく響いてきそうなものだ。
学術会議の委員任命拒否も大きな問題だ。一般には関係ないと見過ごしていると学問の自由のみならず、(既にだいぶ危ういとは思うけれども)思想、表現などあらゆることが統制されるようになる。
それでも金木犀香る中、「期待外れなほど感傷的にはなりきれ」ていない自分もいる。
それは諦めなのだろうか。
志村さんが亡くなった時、どんなに泣いても望んでも、全力で現実を全否定したとしても、圧倒的に変えられないことがあると知った。どんなに才能があり貴重な存在で周りが惜しもうと、連れていかれることはある。
善人にも悪人にも死は全てに等しく訪れる。そしてその時期を選ぶことは、(自発的なものを除き)通常はできない。
変えられないことと、変えようと思えば変えられるかもしれないこと。
噛み締めよう。
Memento mori.