若者のすべて (フジファブリック)

これまで数々のアーティストにカバーもされ、夏の曲としてじわじわと認知度や人気が高まってきたフジファブリックの名曲。今では富士吉田のチャイム(*夏と冬の一定期間に切り替わる、『若者』はだいたい夏かな)にもなっているし、フジフジ富士Qでの藤井フミヤさんを筆頭に、ミスチル、柴崎コウさんなど色々な方がカバーをして下さっているそうだし、最近は季節柄か、のんさん出演のCMでも曲が使われているそうだ。もちろん、3人体制のフジのライブでもよく演奏されている。

でも私の中では何故か秋のイメージが強い。もうかなり昔のことになるから、発売当時の状況を詳細に思い出すことはできないのだけれども、確か工芸大の学祭などをしていた時期前後にリリースされて、そのプチ遠征時に体育館のパイプ椅子に置いてあった観覧車の販促フライヤーの記憶が何故か残っている。もうオフィシャルHPでも昔のライブ日程などを遡ることはできないから具体的な日にちはわからないけれど、学祭シーズンだからやっぱり秋ごろだったんじゃないかと思う。

リリースが先だったのか、ライブで聴いたのが先だったのかも思い出せないけれど、初めて聴いてすぐ、これは私の好きになる曲だと思った。そして実際、今でも大切な曲だ。

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やっぱり気になって『若者のすべて』のリリース日を調べてみたら、2007年11月7日だった。『TEENAGER』のリリースが2008年01月23日とあったから、収録曲を小出しにしながらライブをしていた時期だったのかもしれない。

振り返ってみると私が初めてフジのライブを体験したのは2016年のRIJFレイクステージ。それから都内の学祭や渋公ライブ、CDJなどの後、サーファー気取りツアー(だったかな)が終わって、ライブは学祭などのイベントメインという時期だった気がする。(この頃私は東京周辺のフジのライブにはほとんど行くようになっていた。この年RIJFには行っていないけれど。)

この間、バンドの人気はうなぎ上りだったように記憶している。2006年の学祭ライブの時にはBACKHORNなどと一緒の日だったせいか、会場にフジファンらしき人はほとんど見当たらず、アウェー感がものすごかった。チケットもぴあの一般販売(発売日からわりと過ぎている)で十分買えていたのだけれども、そのうちそれが難しくなってきた。

近い時期にリリースされていたのは『Surfer King』(2007.06.06)と
『パッション・フルーツ』(2007.09.05)。いずれも後に『TEENAGER』に収録されることになる曲だけれども、PVも『FAB FOX』までの作品時(もっさりした感じが残る)と比べて明らかに垢抜けてスタイリッシュになった。お洒落でポップな色彩が強くて、「ちゃんとスタイリストさんとかを付けて、ビジュアルも意識して、まさに売り出しモードの時期なのかな」なんて、思っていたりした。

そして夏に行われていたサーファー気取りツアーは、最前エリアで見たのもあってすごい密度&圧迫、モッシュのような状態で正直きつかった。

そんな、まさに勢い、大きな波に乗って、新たな魅力(?)で多くのファンを獲得しようとしている(『TEENAGER』に向けての)イケイケ(!?)モード全開の中、急に「これは・・・!!」と、私がフジに惹かれてやまない原風景のようなものを見せてくれたのが『若者のすべて』だったのだ。

(もちろん、今では『TEENAGER』も大切なアルバムなんだけれども、私にはちょっとポップ過ぎるかなと、リリース時には思っていた。やっぱりどうしても好きなのは『フジファブリック』や『FAB FOX』のような世界観だったから。)

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脱線が長くなってしまったけれども、一目見て、というか一聴きで、これは好きになる曲だと思った『若者のすべて』。

盛夏過ぎの風景、花火(大会)とそこから思い起こされる回想、名残る気持ちと情景をぼんやりと描き、それぞれに浮かび上がらせる絶妙な言葉のさじ加減。派手さはなくどちらかというと静かめで、じんわり心に浸透して響いていく曲。

そして、そのメロディーや歌詞は、暮らしの色んなところと共鳴して湧き上がる。

例えば、私が海外を歩いていてふと思い出したのは、街中に鳴り響く教会の大きな鐘の音の中で。その時、イントロから繰り返される鍵盤の”レ♭”は、思えば何だか鐘の音みたいだな、あ、「夕方5時のチャイム」の感じって、「教会の鐘の音」と近いのかな、なんて思ったりした(いつもの生活や風景の中に当たり前にあって、その中で繰り返される、時を意識させる存在)。

そういう、暮らしの中のふとした瞬間や存在を切り取り使うのが、志村さんはとても上手い。そしてそれが人々の心をつかむ。しかしそれでいて、人々がそこから描き出すものは、多種多様のものとなる。意図的に、唯一の確立された解釈が出ないような歌詞にしているから。

『若者のすべて』でも、語り手がどんな風に「最後の花火」を迎えているのか、「ないかな ないよな」が具体的に何を指すのかは、におわせてはいるけれども、特定できない。

終わった?終わっていない?恋の歌なのかなとも思いきや、「運命」や「世界の約束」といった、より大きなスケールのことを言っているのか、とか、考え始めるといつしか煙に巻かれてしまう。きっと、それは恋でもあり、人生でもあり、両方でもあり、どちらでもなくもあるんだと思う。

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2014年の7月に山梨県立図書館で開催された『ロックの詩人 志村正彦展』で『若者のすべて』の草稿が展示されていたのを見た人はどれくらいいるのだろうか。

この時は確か、志村さんの歌詞に惹かれた、山梨で国語教員もしている方が、草稿から、今私たちが聴いている曲になるまでの過程を推察していたように記憶している。

そして、草稿段階の「若者」の歌詞は、私たちが知っている『若者』の内容とはだいぶ違うものだった。見てすごく驚いた。(ちなみに曲の構成も違っていた。)

公開してよいものなのかもわからないし、うろ覚えの記憶で間違ったことを書いてもいけないので、詳細は言えないのだけれども、ひとつ言えるのは、草稿段階の歌詞には、かなり具体的な、もしかしたら実際に志村さんが体験したのかもしれない場面とその時のことばが入っていて、そうすると若者のテーマというか解釈の方向性はだいぶ狭められるものになっていたんだけれども、それを、昇華して、そぎ落としてそぎ落として、志村さんは現在の形にしたんだな、というのが推測されるものだった。

そしてそのことが、多くの人の心の中で潜みくすむ、若者時代や青春、あるいはそれを過ぎ去った者のそれらへのノスタルジックなものをいっそう掻き立て、普遍性を持つものにしたんだな、と思った。

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ありがたいことに、『若者』をカバーしてくださる方は多数いて、たいていそれは情緒豊かに歌いあげられることが多いんだけれども、私はやっぱり志村さんの、センチメンタルになりすぎない、どちらかといえばのっぺりした歌い方がこの曲に一番マッチしていると思っている。

特に最後の”同じ空を見上げ・・・”の三連符の部分は、最近のフジのライブでも、だいぶ溜めてというか、エモーショナルに歌い上げられることが多いんだけれども、やや違和感がある。

あの辺りは、PVで志村さんがどこか諦めたような表情で目を伏せるシーンがあるんだけれども、それがとても志村さんらしいし、この曲の本質に近いところだと考えている。(もちろん、現体制で歌われる時の”同じ空を・・・”は、志村さんへの気持ちがこもっているから、大切に歌いあげられるってのは理解はできるけれどね。)

『若者』は究極的な「抑」「引き」「静」の歌だと思う。

カバーされた『若者』にもそれぞれの良さがあるけれども、その中で私が特に好きなのは、総くん(ギター)と民生さん(ベース)と斉藤和義さん(ドラム)が、すごくシンプルに、どちらかといえば淡々と歌ったもの。やっぱり志村さんを知っている人たちだから、こういう形になったんだろうなって感じた。

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発売から10年経っても、それこそ「何年経っても思い出してしまう」、そして新たに人々の心をつかんでいく志村さんの曲。

もっとたくさん聴きたかったな。

来年でもう、2009年から10年になる。

長かったようでもあり短かったようでもあるこの10年。フジは15周年企画で色々なことをするようだけれども、志村さんの時代のものや、志村さんに触れられるものもあればいいなと思っている。

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