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観光客に愛される山々と環状ブロック群を残した文化(=千葉県)
千葉県は登山、スポーツトレッキング、山道ハイキングが楽しめる場所として、アウトドア愛好家に人気が高いようです。ハイキングコースは、初心者でもトレッキングができるように設計されています。
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伊予ヶ岳
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伊予ヶ岳が他の山と異なる点はプロの登山家にも普通のハイキング客にも適していることです。整備された山道のすぐ脇に専門の登山用具を使わないと登れない場所があります。標高336メートルの山頂にはベンチとテーブルが完備されており、360度のパノラマを楽しみながら一服できます。
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鋸山
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千葉県で最も人気が高い山のひとつが鋸山。標高はわずか329メートル。
苦も無く登山できるが、頂上からの眺めは日本一の絶景といっても過言ではありません。登山は徒歩でもケーブルカーでもできます。
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高宕山
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高宕山の標高は鋸山に比べ、わずか1メートル高い。野生動物が多く生息しており、特に野生のサルの個体数が多く、豊かな森林植物が原生状態で保存されていることから、1956年、県立高宕山自然公園に指定されました。
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富山
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富山には2つの峰があり、北峰は標高349メートル、南峰は342メートル。
山麓は鬱蒼とした広葉樹林が広がり、山岳植物の花の香りに満ちています。富山は県立富山自然公園に指定されています。
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池花南遺跡の環状ユニット
環状ユニット(ブロック群)から出土した石器のうち主体となるのは28点の台形様石器で、全長30mm前後の台形・三角形・平行四辺形・不整形をした小型の石器です。
いくつかの形態に分類されることから、機能的にも使い分けがされていた可能性があります。その他、ナイフ形石器・削器・石斧がわずかに伴います。
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四街道市池花南遺跡は、
約3万3千年前から3万1千年前の呪的意味をもつ環状ユニット(ブロック群)の遺跡です。(以前は約2万7千年前と考えられていた)
外部から持ち込まれた台形石器(28点)は、中期旧石器的な特徴をもつ石器です。珪質頁岩、チャート、メノウ、粘板岩、安山岩など多くの石材を使用しています。
小型の台形石器の文化は、東日本地方を分布の中心としていることから、
北方から日本列島に流入してきたと考えられています。
旧石器時代人の歴史
「環状ユニット」説(=安蒜政雄氏)
「環状ユニット」とは、日本列島の後期旧石器時代初期(約4万年前~3万年前)の遺跡から検出される旧石器人の集団キャンプ跡と考えられる遺構です。石器を製作する際に飛散したブロックと呼ばれる剥片が、環状(円形)に分布して検出されるもので、当時の人々の生活・居住の実態に迫る遺構として知られています。
2019年(平成31年)時点で、全国で118遺跡146基確認されていますが、約半数の53遺跡71基が千葉県北部(下総台地)で検出されています。
ブロックのある場所は、細く簡易な木柱を組み、獣皮等をかけて屋根としたテントが作られ、家族などの構成員による小集団が共同生活をしていたようです。
約4万年前~3万年前までの、後期旧石器時代初期に現れる特有の遺構とされ、3万年前以降の旧石器時代遺跡では、環状ユニットは見られなくなります。
後期旧石器時代の台形石器文化(=南関東)
新参者(台形石器文化の旧石器人)は、約3万4千年前に下総台地の墨古沢遺跡に、約3万3千年前から3万1千年前に池花南遺跡に入植し(以前は約2万7千年前と考えられていた)、「環状ユニット」という特異な遺跡を形成しました。
環状ユニットの円形の配置は石器製作の工程と関係があり、「呪的な」聖域でもあったと考えられています。
そして、多くの石器が外部(北関東の石工集落)から持ち込まれていることが示すように、彼らは「環状ユニット」から「環状ユニット」へと石器を分散しました。
石器の分散によって形成される遺跡と、その遺跡によって囲まれた広大な領域は、彼ら自身と不可分に結びついた「小宇宙」(=共通のアイデンティティをもった世界)だったのでしょう。
その全体は同族的な血縁関係をもった100~150人程度の単位共同体を形成していたと考えられています。
このような「呪的な」聖域の観念は、私たちの世界観とも農耕民のものともまったく異なり、現代の狩猟民にも見ることができません。後期旧石器時代初期の東日本に特有な(ガラパゴス的な)文化と考えられます。
(東北地方では、台形石器文化の旧石器人はかつて(3万4千年以上前)、先住民でした。)
旧石器時代の天孫降臨
房総半島のなぞ
房総半島はシカやイノシシが生息できる豊かな自然に恵まれていたにもかかわらず、骨の化石は見つかっていません。
「台形石器文化の旧石器人」は、漁労生活や「オニグルミ」などの木の実の採集生活に適応し、約3万年前頃から四国・九州方面へ移動していった可能性があります。
さらば友よ、お元気で!
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(庭木図鑑・植木ペディア)
「オオツタノハ貝」の道(=加曽利貝塚)
弥生時代後期頃、
八丈島産のオオツタノハという貝殻を材料として作られた「貝輪」と呼ばれるブレスレットが、関東や東北の東海岸の遺跡から出土しています。
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大島町貝の博物館
芝山古墳とはにわ博物館へ行って来た!
ユダヤ人の風貌をした埴輪が沢山いらっしゃるという、千葉の芝山古墳・はにわ博物館へ行って来ました! 田中先生と茂木先生が、古墳の真実についてたっぷり語ります……!
和の国チャンネル