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永久凍土から約5万年前のマンモスの赤ちゃん発見

露極東のサハ共和国でこのごろ、ミイラ化した約5万年前のマンモスの赤ちゃんが永久凍土から発見されました。

ロシア、ヤクーツク(ロイター)



永久凍土から発見されたマンモスの「ヤナ」

発見された川の流域の地名にちなんで「ヤナ」と名付けられたこのマンモスは、世界で最も保存状態の良いマンモスの死体だということです。

ヤナは体重が100キロ以上、体高120センチ、体長200センチ。死亡時の年齢は約1歳と推定されています。

2024年12月24日
BBC Japan

『五重構造モデル』説

日本人の祖先は主に、沖縄県に多い「縄文系」、関西に多い「関西系」、東日本に多い「東北・プロト縄文系」、北と東北の旧石器人の末裔が混血した「東北・縄文系」、大陸集団と東北の縄文人が混血した「東北・古墳系」の5つに分けられると推定します。


アイヌ語はどこから来た?

多言語研究家の『理系の言語オタク 出口日向さん』によると、

アイヌ語は、インドヨーロッパ語族の言語(トカラ語B)とオーストロネシア語族の言語(タガログ語)のクレオール語であるということです。

『理系の言語オタク 出口日向さん』のブログより

砂漠に消えた「ローラン」の集落

研究の結果、タリム盆地のミイラには同時期(紀元前1900年紀)に生きていた他の集団と混合(子どもを作ることを意味する)した兆候が見られないことが分かりました。ミイラの直接の祖先に当たる集団は、氷河時代には広範囲に存在していたものの、その末期の約1万年前までにほとんどが姿を消したといいます。

古代・北ユーラシア人と呼ばれるこれらの人々は狩猟採集生活を送っていた集団で、現代人の遺伝情報にはごくわずかな痕跡しか残っていません。遺伝情報中の比率が最も高いのはシベリアや米州の先住民族(ハプログループR1a、Y-DNA)だとされています。タリム盆地で上記の年代にさかのぼってその存在が確認されたのは予想外の発見でした。

2021.10.28
CNN
謎に包まれた「ローランの美女」
新石器時代の住民は狩猟民族の末裔で、
東センタム語が話されていた?
髪の色は赤毛だが、
アイヌの人々のように縮れ毛ではない。

アファナセヴォの遊牧民

中東~インドの牛飼いたち(ハプログループR1b、Y-DNA)の子孫が、東中央アジアのアルタイ山脈まで移住し、アファナセヴォ文化(紀元前 3600~紀元前2400 年頃) を築きました。アファナセヴォの人々はインド・ヨーロッパ語族のトカラ語派の先駆者である可能性があります。

タリム盆地でトカラ語が話されていたのは、3世紀から9世紀と推定されています。

東中央アジアのアファナセヴォ文化
(紀元前 3600~紀元前 2400 年頃)
プロト・トカラ語が話されていた


アファナセヴォの人々の生活様式は、
半遊牧的牧畜と考えられます。牛、羊または山羊、馬を飼育しましたが、野生動物の狩猟も行ったようで、ともに出土する例が多いです。

ウィキペディア

(縄文時代、アファナセヴォの人々と樺太アイヌの人々が交易をしていたと仮定して、間宮海峡を渡ったのはどちらの人々でしょうか?)

アファナセヴォの人々は遊牧民ですので、樺太アイヌの人々が間宮海峡の対岸のアムール川流域へ移住したと考えるほうが自然です。


しれっと、「エデンの園」仮説・批判

分子人類学者の尾本惠市氏と斎藤成也氏は、

ミトコンドリアDNAから得られるデータはそれ自体ではヒトのポピュレーションが、いつどこで分岐したかを決定するには不十分だと主張しました。

科学雑誌「ネイチャー」に掲載されたレベッカ・キャンの「エデンの園」仮説(1987年1月)は遺伝子学者仲間からさまざまな批判を集めました。

ジョナサン・キングドン

カリフォル二ア大学バークレー校のレベッカ・キャン(Rebecca L. Cann)のチームは、ミトコンドリアDNA研究の特殊技術を用いて、世界中に拡散した民族どうしの関連を研究できることに気づきました。彼女の研究チームは一種の人類編年図である大きな系統樹を組み立てました。

クリストファー・ストリンガー

東日本の地形と気候は、多様性に満ちた人種と言語・文化の過去の徴を攪拌し、遺伝子の研究を難しくしています。

しかし、そのことが東部日本に以前から住んでいた人々から、過去の遺伝的特徴を跡形なく消してしまったかというと、そんなことはありません。

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