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東北グリーンタフと石材産地の旧世界
男鹿国定公園のグリーンタフは、水に濡れるとより深い緑色になります。約2,100万年前の激しい火山活動でできた火山礫凝灰岩という岩ですが、このあたりでは熱水などの影響で緑色に変化しました。グリーンタフという用語はこの館山崎が発祥の地と言われています。当時の火山噴出物は緑色をしたものが多く、日本海沿岸地域に広く分布しています。
(海水の蒸発により、海面が低い状態は約500万年前まで続きました。)
十和田石
十和田石は秋田県大館市比内町で産出される緑色凝灰岩
(グリーンタフ)の商品名です。青白色の地に青緑色の地紋が入っており、保温性や保水性の高さから内装壁材やタイルなどの建材として使用されています。
鉄を還元性のある二価鉄の状態で含むことにより青色を呈するという特徴があります。
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特徴
●火山礫凝灰岩 (火山灰と火山岩片の集積した岩石)
●多孔質である。
●弱アルカリ性である。
●石質が柔らかく、加工が容易である。
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なんも大学
地蔵田遺跡の環状ユニット
地蔵田遺跡は今から3万5千年前の旧石器時代後期に大陸から
(北経由で、)移住してきた人が造った集落跡です。雄物川と岩見川の合流点をのぞむ標高約30メートルの段丘上に立地しています。
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『秋田市埋蔵文化財調査報告書』による。
ナイフ形石器・ペン先形ナイフ形石器・台形様石器が環状ユニットの中央部に集中し、石斧(局部磨製石斧)・礫器は環状ユニットの周辺部に分布しています。
石器の年代は、約35,000~34,000年前と考えられます。
これらの石材は、約99%が珪質頁岩であり、その他の石材が約1%です。
横長・幅広剥片生産技術が主体です。
珪質頁岩が秋田県の石に認定されました!
【珪質頁岩】は、男鹿半島・大潟ジオパークの鵜ノ崎海岸でもよく見ることができます。
Kumiさんのブログより
【珪質頁岩】は、
シリカを多く含んだ泥岩で、地下深部で硬く変質した岩石です。(堆積岩)
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兼子尚知〔写真〕)
「環状ユニット」説(=安蒜政雄氏)
「環状ユニット」とは、日本列島の後期旧石器時代初期(約4万年前~3万年前)の遺跡から検出される旧石器人の集団キャンプ跡と考えられる遺構です。石器を製作する際に飛散したブロックと呼ばれる剥片が、環状(円形)に分布して検出されるもので、当時の人々の生活・居住の実態に迫る遺構として知られています。
ブロックのある場所は、細く簡易な木柱を組み、獣皮等をかけて屋根としたテントが作られ、家族などの構成員による小集団が共同生活をしていたようです。
約4万年前~3万年前までの、後期旧石器時代初期に現れる特有の遺構とされ、3万年前以降の旧石器時代遺跡では、環状ユニットは見られなくなります。
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新石刃技法をもつ集団と『米ヶ森型台形石器』
次に登場するのは新石刃技法をもつ集団です。新石刃技法で縦長剥片を剥離し、初期的な「ナイフ形石器」を製作していました。
『東山系ナイフ形石器』『茂呂系ナイフ形石器』『杉久保系ナイフ形石器』の三種類があります。東日本地方に多くの遺跡が分布しているため、
北方からか移住してきた人々の遺跡です。
竹岡俊樹
最初期では、狩猟具(ヤリの穂先)であった横長・幅広剥片素材の台形石器が、縦長剥片製の尖刃(及び斜刃の)ナイフ形石器という新しい狩猟具(ヤリの穂先)の出現により、狩猟具から刃器『米ヶ森型台形石器』に機能を転じ、置きかわっていくことを確i認。
駿台史学会
大塚宜明氏
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東北大学の鹿又喜隆准教授の資料より
米ヶ森遺跡では、『東山系ナイフ形石器と杉久保系ナイフ形石器』と
『米ヶ森型台形石器』が見いだされます。
家の下遺跡では、『東山系ナイフ形石器と疑似茂呂系ナイフ形石器』と
『米ヶ森型台形石器』が見いだされます。
3万5千年前の東北では、4種類のナイフ形石器が存在しました。
地蔵田遺跡の先住民は、「環状ユニット」という共同生活の文化を創造し、新石刃技法をもつ新参者の集団と共有しました。
人類の特徴と一重まぶた
全世界の現世人類の身体の外観は、多種多様であり、その原因の一端は、祖先の暮らした環境に関連付けることができます。人間の体形の違いは、遺伝で子孫に伝えられ、強制または自発的な新世界への(短期の)移住によって、変わることはありませんでした。
クリストファー・ストリンガー
クライブ・ギャンブル
東アジアのモンゴロイドの大半の人に見られる、いわゆる「一重まぶた」は、謎の深い「人種」的特徴です。上まぶたについた余分な襞は、先住アメリカ人やポリネシア人にも、さらにはアフリカ南部のコイサン族にも存在しています。
クリストファー・ストリンガー
クライブ・ギャンブル
『蒙古襞は、北ルートを進んだ北東アジア人(北方系古モンゴロイド)とアフリカ南部のコイサン族の共通祖先(Y染色体ハプログループA~C1)には存在していたが、ネアンデルタール人には存在していなかった、』
とフランスの民族学者らは推定しています。
(しかし、極東の民族学者は否定しています。)
クリストファー・ストリンガー
クライブ・ギャンブル
アジア北ルートが出現した時期を解明
国立森林総合研究所、(米国)カンザス大学、東京都立大学、金沢大学の国際研究グループは11月29日、アフリカからアジアの北ルートを通じてバイカル地域へ現生人類が拡散 した時期と要因を明らかにしました。
森林総合研究
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バイカル地域に
針葉樹林帯が出現した
バイカル地域は地中海地域からアルタイ山脈を越えて来た北ルートの人達の重要な地域になっていました。
このため、バイカル地域の遺跡から出土した遺物も多く、
遺跡は旧石器時代の初期に区分され、その年代は約4.5万年前であることが分かっています。
(研究グループは、)
バイカル湖の湖底堆積物に含まれている花粉の分析から時代ごとの植生の変化を明らかにしました。
その結果、バイカル地域には、約4.4万~4万年前に人類の居住が急増し、初期の定着が起こっていたことが分かりました。
さらに、マツやトウヒなどの針葉樹に加え、イネ科などの草本類の花粉が多く出土し、氷期においても温暖で湿潤な時代が5千年もの間続いて草原の中に森林が散在する「森林ステップ植生」と呼ばれる領域が拡大していたことが判明しました。
研究グループは「森林ステップ植生の拡大で生じた多様な動物の増加は、現生人類に十分な食料をもたらし、それが人類の定着の要因となったと推測される」と解説しています。
森林総合研究
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バイカル地域に
針葉樹林帯が出現した
旧石器時代の狩猟民に由来するY染色体ハプログループC1a1
男性で遺伝するY染色体ハプログループC1a1は、日本列島固有の遺伝子であるため、日本列島で誕生したことは確実と思われますが、その祖型の移動ルートは謎に包まれています。
その渡来年代は約4万年前とする説と約1万年前とする説がありますが、前者であれば日本列島最古層、後者であれば日本に縄文文化をもたらした集団かもしれません。
(C1a1は渡来人に由来する遺伝子ではありませんが、
縄文時代の人骨から検出された例は未だに発表されていません。)
archaeologistさんのブログより
新モンゴロイドの形質タイプが出現した時期
東ヨーロッパ人、中央アジア人はモンゴロイドとともに頭骨のポロポーションの短頭型が高い割合を占めています。
しかし、「モンゴル人」には東アジア人を西洋人と区別する極端な特徴のいくつかがみられます。
「色素が薄く、直毛で、顔の幅が広く、ときには細い目をしています。」
西部の日本人の祖先集団(弥生人)の特徴は、黄海沿岸に進出した樺太アイヌとの共通の祖先集団(プロト縄文人)から派生したものかもしれません。
樺太アイヌの祖先は、
『遼河を北上し、間氷期に内陸部に定着したものの、前回の氷河期に松花江流域までの地域に閉じ込められてしまった、』と推定されています。
弥生人の祖先は、
『黄海沿岸に留まり続けていたプロト縄文人と、沿海州の海岸線を南下してきた北方系モンゴロイドとが混血した、』と説明されます。
この見方にしたがえば、『新モンゴロイドの形質タイプの出現は、
過去1万7千年のあいだに起こったのだ、』というものです。
(日本の人類学者は否定しています。)
十和田火山
十和田湖は、十和田火山が噴火して、陥没した山体に水が溜まってできた湖です。
約3万6千年前にも噴火しています。
昭文社
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遺伝的に見たイヌの起源
分子系統学の知見に基づき、2022年の時点では、イヌは絶滅した東アジアのハイイロオオカミの集団から家畜化されたと考えられています。
なお知られている中でこれに最も近いオオカミの亜種はニホンオオカミです。
イヌの系統がハイイロオオカミから分岐したのは4万年前~3万年前と推定されています。
ヨーロッパの犬の先祖
ヨーロッパの生物学者は、
「イヌの直接の先祖はヨーロッパの古代オオカミであり、
ヨーロッパの狩猟採集民によって家畜化された。」と主張しています。
しかし、この主張はS ビョルネルフェルト氏らによって否定されました。
ヨーロッパ系のイヌの品種が人為的に作られ始めたのは8世紀ごろとされ、
オスのオオカミとメスの犬を人為的に交雑させたと考えられています。
縄文犬は全国の遺跡から出土していて、関東地方が最も多い。
犬は縄文早期から出現し、縄文中期から縄文後期にかけて出土遺跡数・個体数が増加し、縄文後期には墓域に関わる出土事例が増加し、埋蔵事例も増えています。
既に、縄文犬は絶滅しています。
しかし、縄文犬や弥生犬から進化した犬は、現在も生き続けています。
それが日本犬です。秋田犬、柴犬、北海道犬や琉球犬などが挙げられます。日本に古くから存在する伝統種は、縄文犬や弥生犬に非常に近いとされており、縄文犬や弥生犬から進化したという説が有力です。
二度キャンセルされた『古代型人類』?
私が思うに、現代人を生み出したのも彼らであったし、かつて彼らにしばしば起こったのと同様に、今日、自身の従兄弟であるホモ・サピエンスによって、劇画化して描かれ、再びキャンセルされたのも、『古代型人類』の運命であった。
人間行動モデルの仮説は、世界中の博物館、大学、研究所で物議を醸しました。ここでは、一人の人類学者の失敗体験をご紹介します。
『オブザーバー』科学部編集長
人類学者のクーン・カールトン氏(Carleton S. Coon)は1962年に『人種の起源』を出版しました。世界中の人類化石を包括的に分類したこの本は、最初は真に偉大な学問的業績として、歓呼して迎えられました。
『オブザーバー』科学部編集長
化石の年代測定技術
1949年~1950年・・・放射性炭素年代測定法の開発
1980年代・・・熱ルミネッセンス法、電子スピン共鳴法などの
新しい年代測定技術が利用されはじめます。
放射性炭素年代測定法は、4万年前より新しい遺跡にだけ有効でした。
現生人類的特徴を持つ古人類の遺骸を分析できる道具がなかった時代に、
保守的な科学者たちはアフリカ人やオーストラリア・アボリジニに関する
不名誉な主張を繰り返していました。
『人種の起源』(クーン・カールトン氏)
「アフリカが人類のゆりかごであったとしても、
それは無関心な幼稚園に過ぎなかった。
ヨーロッパとアジアが私たちの主な学校だった。」
彼がここで意味したのは、コーカソイドとモンゴロイドの人種が原始的な形でアフリカを離れた後、それぞれの地域でさらに進化したということでした。
『人種の起源』(クーン・カールトン氏)
「ヨーロッパとアジアでは、25万年前頃までに・・・。オーストラリア・アボリジ二は、エレクトスの遺伝子の泡沫を吹き飛ばしている最中だった?」
(続く・・・)