「変わること」は面白い。
こんにちは。渡邉貴大(nabe)です。
この記事は、毎年恒例になりつつある株式会社MIMIGURIのアドベントカレンダーの企画です。
今日は12/24クリスマスイブということで、DAY24の記事を書かせていただきます。
今年のアドベントカレンダーは、MIMIGURI Co-CEO安斎の新著『冒険する組織のつくりかた「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』にちなんで、 #わたしたちの冒険というテーマでお送りしています。
nabeは「みんなでファシリテーションし合う世界をつくる」をセルフビジョンに掲げて、日々営んでいるわけですが、そのファシリテーション観を支える鍵概念の一つが冒険です。
今日はnabeにとっての冒険がどのようなものか?を探索してみたいと思います。
冒険とはなにか?
nabeは冒険をこう捉えています。
好奇心に突き動かされ既知から未知へ足を踏み出してしまったとき、その経験を通して人は未だ知らぬ自分自身の扉を開けてしまう。
その出来事が起きてしまうと、もう過去の自分には戻れなくなる。
冒険とはそういうものだと思っています。
今年、2024年にアニメ化された話題作『チ。―地球の運動について―』にラファウという青年が登場します。聡明な彼は、常に合理的な選択をすることで快適な人生を送ってきましたが、地動説という未知へ足を踏み出し、これまでの人生を捨てました。(説明するまでもないですが、地動説を唱えることは異端とされ、審問にかけられ、改心しない場合は処刑されます)
ラファウは地動説と出会い、のめり込み、もうそれを知らなかった頃の自分には戻れなくなくなるほど変わってしまいました。自分の生命を賭けるほどに。
冒険を辞書で引くと、
こう定義されていますが、危険性や成否というのは未知の経験を示すもので、それを通して自己変容が起きてしまうことも含めて冒険というのではないか?そんな仮説を持っています。
冒険との出会い
僕自身がそのように考えるきっかけとなった出来事がいくつかあります。
大自然を旅する経験
大学生の頃、徐ろにキリマンジャロに登りたいと思い、それ以来登山をはじめとするアウトドア・アクティビティをやり込んできました。
どのアクティビティもフィジカルにくるものばかりで、旅の途中でもう二度とやるもんか…と思うのですが、旅を終えて帰路に着くころには決まって「次はどんな場所にいってみようかな」と考えていました。
そんなことを友人に話した時に「何がnabeをそうさせるの?」と尋ねられ、とっさに出たこたえは「旅を通して自分が変化することが面白いから」でした。
未踏の出来事を経験する中で、実際に直面するのはできない自分ばかり。でも旅を始めたら行くも帰るも進むしかない。そんな中で少しづつその旅の世界に馴染み、分かってくる、できるようになってくる、そんな自分の変化を面白がっていたのだと思います。
冒険教育との出会い
そんなアクティビティを通して学び合うプログラムがあることを大学の先輩に紹介してもらい出会ったのが、英国の冒険教育機関Outward Boundでした。
強く興味を惹かれたnabeは、76日間の指導者養成プログラムを経て、本機関のファシリテーターとなりました。
Outward Boundでは、登山やロッククライミング、カヤックやセーリングなどの様々なアウトドア・アクティビティをグループで行います。
とは言えガイドがいるわけはなく、必要な装備と知識を授けた後に、グループでやり遂げるミッションが提示され、それに挑むのがプログラムの基本構成です。
例えば、山岳地図と登山装備が渡され、3日以内にここにたどりついてください。といった調子です。
プログラム中はファシリテーターと呼ばれるスタッフが帯同し、安全管理を行うわけですが、特徴的なのは必ず一日の終わりにみんなでリフレクションのダイアローグをすることです。
豊かな旅を笑い合う時間になることもあれば、過酷な旅の中で起きる集団の対立や個人の葛藤を直視するヘビーな対話の時間になることもあります。(ほとんど後者ですが)
長いときは半日対話し続け、旅が前に進まないこともありました。
他の冒険教育機関でのキャリアも含めて7年ほどこの領域でファシリテーターをする中で、単に未踏で未知の経験をするだけではなく、その経験を共にする共同体の相互作用(グループダイナミクス)から起きる学び合いが生み出す認知の変容に面白さを感じるようになってきました。
ちなみに、他の冒険教育機関はMIMIGURIでもご支援をさせていただいている、ProjectAdventureJapanです。
高校時代の原体験
そんなことを書きながら、もっと前に自分の原体験があったことを思い出しました。
高校2年生の夏に「日本の次世代リーダー養成塾」というサマーキャンプに参加しました。
全国各地や海外から高校生が集まり、経済界、政界、スポーツや芸術、哲学など多様な領域の先駆者や牽引者の方々の講義(nabeが参加した当時は、稲盛和夫さん、マハティール元マレーシア首相などが登壇されていました)を聞き、それを題材にディスカッションする。そんな毎日を2週間ひたすら続けるというものでした。
参加してみて驚いたのは、集まった同年代が強い信念やビジョンを持って活動してることでした。ハーバードでMBAを取得して起業するだとか、NFLのチアリーダーになるとか、難民支援の活動を実際にやっているとか、田舎の狭いコミュニティにいたnabeには想像できないイメージを語る同世代にめちゃくちゃ日和っていました。
でも、いざディスカッションをしたときに彼ら彼女らと同等、それ以上に自分の言葉で意見を言える手応えを持ちました。
「あれ、自分はこんなに自分の考えを持つことができるだ…!」と自分自身のポテンシャルを感じたことを今でも忘れません。
いま思い返せば、未だ知り得ていない世界の出来事や、自分が想像もつかないようなビジョンを浴びるなかで、未だ知らぬ自分自身の扉を開けてしまったことを明確に感じた経験でした。
その時から、共同体で相互作用する営みを通して自分が変化する面白さに目覚めたのだと思います。
組織もまた冒険する
nabeにとっての冒険がどのようなものか?の探索にお付き合いいただきありがとうございました。
冒険をこう捉えていると書きましたが、ここでいう自己変容は個人にとどまらず、その集合体である組織にも同じことが言えると思います。
いま、多くの企業共同体が未知へ足を踏み出しており、その中でケイパビリティやアイデンティティの変容を迫られているということがよく語られます。
その変容を遂げるために、過去を忘れさせ、新たな方針や枠組みを構成していくプロセスを起こすために「変わらなければならない!」という強い危機意識や切迫感を強いる組織変革が叫ばれます。
しかし、危機感や切迫感から始まる冒険をしたい人がはたしてどれほどいるのでしょうか?
冒険は、どうしてもそうしたくなってしまう好奇心から始まることを述べてきました。組織の冒険も同様だとnabeは考えています。
過去の否定ではなく、過去の訂正による良さの再発見からはじめる
変われという切迫感ではなく、変わっていくことへの期待感を育む
できなさだけを見るのではなく、できるようになっていることを面白がる
こういったムードを育み、自分や自分たちが変わっていく旅を面白がっていくことが、いま組織に必要な冒険なのだと思います。
好奇心に突き動かされ既知から未知へ足を踏み出してしまったとき、その経験を通して組織は未だ知らぬ自分自身の扉を開けてしまう。
そんな冒険的で豊かな出来事が起きてしまう場をつくりあげていくことがnabeの一つの使命です。
明日はアドベントカレンダーの最終回。
MIMIGURI Co-CEO安斎が担当します。
アドベントカレンダーが終わってもMIMIGURIの#わたしたちの冒険は続きます。
ぜひ今後もみんなのnoteチェックしてくださいね…!