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名誉皇国民はかく語りき【だいしきゅーだいしゅき編】
⚠注意⚠
本記事は、リゼ・ヘルエスタと栞葉るりによる歌ってみた『だいしきゅーだいしゅき』に脳を灼かれたオタクによる妄言が多分に含まれています。把握の上で、ご興味のある方は読み進めてください。
リゼ・ヘルエスタと『歌ってみた』
まず初めに、リゼ・ヘルエスタを推しているものとして、言いたいことがある。推し、歌が上手くなりすぎている。
リゼ・ヘルエスタといえば、歌枠が希少であることがひとつ特徴としてあげられるのではないだろうか。同期の戌亥とこをはじめとして、にじさんじに所属しているライバーの中には、歌を主軸として活動をしているものも多い。そんな中、彼女はかなり歌枠配信が少ない。
とはいえ、歌うことそのものに拒否反応があるわけでもなく、個人・コラボ共に歌ってみたの本数はある程度以上あり、たとえば『i's (イーリス)』という歌唱ユニットを樋口楓・竜胆尊とともに結成したりもしている。にじさんじ(ユニット)歌謡祭への出演率もかなり高く、その昔同期のアンジュ・カトリーナとともに数度出演していたこともまだオタクたちの記憶には新しいのではないだろうか。
こうした歌関連の活動を改めて追い返してみると、いろいろと発見できることがある。そんな発見たちを、ぼんやりと語っていきたい。
リゼ・ヘルエスタと『アイドル曲』
彼女の【歌ってみた/cover】という再生リストを見てみると、曲の割合の中でもアイドル曲の比率がかなり多い。これは前述の『i's』でのスクールアイドルユニットのカバーをはじめとして、彼女の特徴としてあげられるだろう。例として、以下の動画が上げられる。
曲によって異なる、リゼ・ヘルエスタの「可憐さ」「力強さ」「儚さ」といった感情・表層表現の数々が、歌という一つの芸術に描き表されているということが、ひとつひとつの曲をゆっくりと聴いてみると明確に分かってくる。17歳という多感な年齢の少女が、その全身をぶつけるかのように声に乗せて叫ぶ。そんな『歌』の軸として、アイドル曲のカバーが存在している。
アイドルが好きだ、と純真無垢な瞳で訴える彼女だからこそ、憧れとしての『アイドル』に一歩踏み入れる。自ら近づくのではなく、あくまで「踏み入れる」からこそ、リゼ・ヘルエスタの『アイドル観』が透き通るように伝わってくる。
ぜひ、今一度彼女の再生リストを振り返って、これらの曲を聞き返してみて欲しい。私の記事からでは伝えたくても伝えきれない、この記事を砂粒として、宇宙より大きい魅力に出会えるはず。
リゼ・ヘルエスタと『力強さ』
一つ、本題に入る前に知っておいて欲しい一面をご紹介させてほしい。それは、彼女の持つ『力強さ』である。
本人曰く引っ込み思案な性格で、あまり自己表現をするような人間ではないというものの、その実誰よりも情熱を抱いている。そんな気持ちにさせてくれる曲が、いくつもあるのだ。またこれも、例を紹介したい。
これは、2024年の誕生日に際して配信された、『異性にいこうね』の歌ってみたである。一度原曲を聞いてみると分かるのだが、薄氷につま先立ちするような曲だと感じるくらいに、儚さが目立つ。この動画がプレミア公開されたとき、つまり初めて聞いた時の感想が、予想とは真逆ともいえる「強い人だ」であった。
原曲を歌っているのは、音楽的同位体 星界である。バーチャルシンガーであるヰ世界情緒の、Cevio AIとのコラボレーションによる人工音声。つまんだら千切れてしまう蜘蛛の糸のような儚さを多分に孕んだ声帯ソフトウェアだ。
私は、そんな音楽が出力されると思い、待機していた。そして、事実としてリゼ・ヘルエスタの声は、星界と同じように儚さを孕んでいた。だが、決定的に違ったのは、人間としての強さを同じように抱え込んでいることであった。これは音声ソフトウェアの批判ではない。人間にも彼女らにも、それぞれの魅力がある。そんな"人間"としての魅力を、リゼ・ヘルエスタは表現しきってしまったのだ。それを、「強さ」と感じさせたのは、どれほど想いが籠っているのかと言い換えられよう。
次点で紹介したいのが、『Royal』である。
日清ラ王とのコラボレーション曲として、発表されたこのRoyal。ヘルエスタ王国の第二皇女として生を受けた彼女による、『王道』の道筋を描いた曲だ。
映像から伝わってくる煌びやかさと、それに全く負けない彼女の力強い歌声。リゼアンラジオ #9のコラボ回で、相方であったアンジュ・カトリーナから、悩んでいることについて『陰キャ』と書かれてしまった人とは考えられない。
この楽曲は、日清の持つバーチャル空間上のライブ開場にて、ライブも執り行われた。時にして一年も前にはなるが、未だに記憶に新しい、彼女の成長物語の一幕である。オリジナル曲である、『ハッピーエンドをはじめから』の進化に驚いたリスナーも多かっただろう。かくいう私もその一員である。その進化をもって、彼女は『Royal』をお姫様らしく強く歌い切った。
リゼ・ヘルエスタと『栞葉るり』
ここで一度話を歌から逸らせてしまうことにはなるが、本題を語るに際してこの題目は無視できない。
栞葉るりがデビューした時、誰しもが思ったであろう。「月ノ美兎、そしてリゼ・ヘルエスタの再来だ」と。これは単にそれぞれがそれぞれへ憧れを抱いているという軽い話ではない。まるで別人で、まるで同一人物。言葉で言い表すことの難しい、彼女らの関係性。限界オタクであり、かわいい後輩であり、楽しい時間を過ごす同僚であり。入り組んだ迷路を三人は解ききって、リスナーをさらに惑わしてくる。これもまた、魅力である。
リゼ・ヘルエスタと栞葉るりといえば、数度コラボをしていることが印象としてあげられる。いくつか例を紹介しよう。
今あげたこの三つは、私が真におすすめできる二人のコラボ配信・動画である。二人の魅力が詰め込まれた、そんな動画たち。ひとつずつ徹底的に語りたいばかりだが、あまりにも時間がかかってしまうので、またの機会に。
それぞれに魅力はあるのだが、二人には特筆すべき長所がある。「相手を立てる」ことにあまりにも長けているのだ。お互いがお互いを立て、励まし、褒める。ただそれだけのことではあるが、それがまるでDNAのようにらせんを描いて天へと伸びていく。そして、それが我々の身体へと突き刺さるのだ。
これは通常、容易なことではない。周りに気を配り、丁寧に掬いあげ、魅力へと昇華する。魅力を作り出す魅力、とでもいえようか。そんな彼女らの特技が、どの動画にも、どの配信にも表れている。切り抜きでもいいので、一度は見てみて欲しい。また彼女らへの理解度が深まるのではないだろうか。
歌ってみた『だいしきゅーだいしゅき』
閑話休題。ようやく本題の、今回の歌ってみた。アイドルユニットfemme fataleによる、『だいしきゅーだいしゅき』。
彼女の歌ってみたの通例として、動画概要欄の一行目は歌詞の一部抜き出しとなっている。ここが今回は「アタシじゃないなんて終わってんね」であった。いったい推しは幾度我々を苦しめれば気が済むのか。そう訴えたくなる。確かにこの曲の真骨頂はこの歌詞だろう。とはいえだ。これを踏まえて、歌ってみたの内容を享受していこう。
まず第一に、声色。リゼ・ヘルエスタの持ちうる最大のチャームポイントともいえる、可憐な声。いかんもなく発揮されているそれに、全私はスタンディングオベーションを送るしかなかった。前述した力強さを基礎に、それを包み込んで相乗効果を発揮する可憐さと儚さ、そして透明感。今までの歌の総合問題のようだ。テストだとしたら、100点阻止問題として話題になるだろう。
ここに、栞葉るりの”寄せているようで、本人の魅力が詰まっている”歌声が効果を遺憾なく発揮してくる。様々な場面において、二人の声は似ているのではないかとよくコメントされている。私も実際そう思うことは多く、ベン図で分類分けをするであれば積集合も大きいだろう。
とはいえ、同じではない。当たり前のことだが、これが重要である。声が似ているというのは、歌にとって利点が大きい。ハモリと言われる、旋律を重ねて音を増幅する表現法は、いわゆる声質が似ていればいるほど綺麗に鳴り、「倍音」と呼ばれる増幅された音と感じる部分が、空間を揺らすほどに響くのだ。ミックスされている都合上これをばっちり判断することはできないが、少なくとも明らかに「ハモっている」と感じられる心地のよいメロディラインを二人は奏でている。
そして、歌詞分け。今ここに欲しいのはリゼ・ヘルエスタで、今ここに欲しいのは栞葉るり。そんなオタクの妄想脳内をそのまま動画にされてしまったのではないかと疑うほどに的確に振られている。
そして、皆が声を揃えていうであろう、二番サビ終わりの「終わってんね」。聴く前から、正直予想はしていた。あの栞葉るりが、リゼ・ヘルエスタにこれを歌わせないことがあるだろうか。いやない。そう感じていた直感は、まさしく的確であった。節々から発覚している、リゼ・ヘルエスタのオタクとしての栞葉るりの一面。憧れの先輩であり、推しなのだ。我々と、少しのシンパシーがあるのだ。
少し話が逸れるが、フレンとこにも同じような話があったのを覚えている。フレンとこ3Dライブにて歌われた同曲は、戌亥とこ推しのフレン・E・ルスタリオによって全編歌詞振りが行われており、該当部分は戌亥とこのパートとなっていた。今回の歌ってみたも、似たような事象が起きていた可能性が大きいのではないだろうか。
直前まで栞葉るりの担当パートであったがゆえに、どうしてもこの「終わってんね」をリゼ・ヘルエスタに言わせたいという欲望が見え透いたように感じるが、真相は栞葉るりのみぞ知るということで。我々はあくまでリスナーであるからして、予想しかできない。
栞葉、おれたちにも気持ちを教えてくれ。
さいごに
長々と語ってしまったが、結局のところ私はリゼ・ヘルエスタの歌ってみたに脳を破壊されてしまっただけである。ひどく薄っぺらい感想だが、そうとしか表現できないのだ。さんばか5thライブに引き続いて、彼女は歌への気持ちの持ちようと、クオリティの両方で進化を繰り返している。
どうか、一度でも彼女の曲を聴くことがあれば、私の感じているあれそれを、同じように感じてみて欲しい。