「私」という名の着ぐるみ
こんばんは。
記事としては初投稿💫
誰が読んでいるわけでもないけれど、
自分のことを少し話そうとおもいます。
世の中で支持される言葉や文章を呼んでいると、前向きなものが多いかなーという印象です。
でもその一方でみんなの弱さを受け入れてくれるような少し暗いとも思われる言葉や文章が支持されるのも事実。
私はどちらかというと、少しどろっとした人間味が見えてしまったような、そんな文章の方が共感する方かもしれません。
そのせいにするときりがないですが、
生い立ちが決して幸せな方ではなかったので、
家族に感謝をしながらキラキラした言葉を綴っている方々を時々どうしても僻んでしまう。
その人たちだっていろいろあるのかもしれないのに、ダメですよね。
だけれど自分で言いますが、リアルな世界でのみんなの目に映る〝わたし〟は
素直で優しくて、いつも笑顔で純粋ですごく可愛い(内面)なんて昔からずっと言ってもらえています。
「幸せに育ったのがわかる」なんていう人もいます。
そんな〝わたし〟の着ぐるみを着て生きて28年。
なぜそんなふうになってしまったのか。
それは笑顔でいれば辛いこともなくなると思っていたから。
それがいつしか、
可哀想な人だと思われたくない、私は可哀想ではない。
という暗示にかかっていました。
でもこの歳になって日記を書くようになり、あることに気づきました。
私はあの時もあの時もすごく辛かった。
学校や仕事を休んでもよかったくらい辛かった。
平気なふりをし続けて色々なことがおかしくなってしまったんだなあ、と。
私の辛かった経験というのは、リアルの世界では同じ経験をした人にならもしかしたら話せるかもしれないけれど、
決して友達や恋人に簡単に話せることではないので、
辛い経験を自己発信した人が
あの人は人生辛かったけど頑張って生きてて偉い!
とか周りの人が言ってもらえてるのを見ると
「他人に話せる悩みの内容で羨ましい。みんなに認めてもらえていいね。」なんて
最高に汚れた気持ちでいっぱいになります。
このnoteを見た人が不快になったならすみません。
でも同じような思いをしている人が
自分だけではないと思ってくれたなら
それが私は嬉しいかなあと思います。
まずは自分の辛かった気持ちを認めてあげることから…ですね。
明日からも着ぐるみは脱がないのだけれど、
帰路で着ぐるみを脱いだ時の自分をたくさん褒めてあげよう
読んでくださってありがとうございました!
おしまい。