毒親、どうでもいいな

先日、毒親に対して助けてあげたいとかそういう感情や愛情はもうないのだなと痛感する出来事があった。

電話で毒父に老い先のことどう考えてるかと言われたので、「介護サービスなんかにつなぐくらいはするよ、遠方だから(本音はやりたくないから)つきっきりで面倒みるとかはできないけどね。」と伝えた。

介護放棄は毒親だろうとこの国の仕組みでは罪に問われかねないので、本当に最低限は仕方がないのでしてやろうと思う。あんな奴らのために罪に問われたくはないからね。

毒父はそれに対して「そうじゃないハートが欲しいんだ。介護サービスに血は通ってない」などと随分なことを仰る。1ヶ月高熱に苦しみ、蕁麻疹が出るくらいまで人の行動妨害しておいてそれは虫が良すぎる。

そんなやり取りの後、他者依存メンヘラ末期の毒母が不穏を起こしたようでまた電話してきたけどもはや憎しみを通り越して無の感情しか生まれなかった。

死んじゃいたい?死ねばいいよと心の底では思っている。でも、メンヘラ相手でもこれを言って本当に自殺をして逮捕された事例があった記憶が。これまた罪に問われるのはごめんなんでね。

これまで友人で困っている人がいれば助けてあげたいとか力になりたいとかしばし思ってきた。でも、二十余年ともに過ごしてきた毒親にはそんな感情は湧かない。ただ、扶養義務だけは不本意だが果たしてやるかというところだけである。

まあ、親の扶養義務なんて随分おめでたい頭で法を考えたんだなとは思う。再三言うけど家制度の前提に成り立つ前近代的な法律は即刻廃止をして欲しい。家制度は戦争とともに死んだんだ。


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