出産当日
手術の準備がぼーっとしていても進められていく。
「頑張りましょうね」と朝から何人もの看護師、医師に声をかけられる。
その度に回答していたのか、もう覚えていない。
MFICUで回診に何度か来た医師、長男の出産時の執刀医師が
「別の手術が入っているけど、終わり次第駆けつけます。頑張りましょうね」と、また、言うのだ。
何を頑張れば良いのか。
頑張ってくれるのは医師達と娘だ。
私は麻酔をされ手術台の上にいることしかできない。
何もしてやれない。
いよいよ手術室に運ばれる。
そこはドラマ以上の現場だった。
数え切れないほどの人数が私達親子を待っていてくれた。
コロナはどこへいったのか。なんとも密だ。
リスクを背負ってくれる医療従事者に感謝の念が溢れた。
チームを、こんなにも万全のチームを私達親子のために作ってくれた。
今思えば医療者達はわかっていたはずだ。
この小さな命は非常に短命であることを。
わかっていながら私の想いを救ってくれた。
わかっていながら娘に全力を投じてくれた。
手術が始まると助産師や医師が状況を私に説明してくれた。
長男の帝王切開時と大差なく進んでいるように思えた。
この期に及んで私は未だ一縷の望みを諦められなかった。
どうか、私の命にかえても娘だけは助けてほしいと願った。
医師が叫んだ。
「なんだ?!とれた??!!」
「小児!!!外科!!!!」
いつもは穏やかな医師が叫んだ。
手術室が騒然とし、私の肩を摩り続けてくれていた助産師の手も止まった。
私は泣いていた。
怖かった。
何があったのと聞くことができなかった。
臍の緒がちぎれたのだ。
私と娘を繋いでいた臍の緒はかなり脆くなっていて
取り出される際にちぎれてしまったのだった。
医師達も想定外の出来事に何が起ったかわからなかったという。
娘がどれだけ必死にそれから栄養をうけとり
どれだけ懸命に命を繋いでいたのか。
騒動の最中、誕生した娘は小児科チームに囲まれ処置をうけていた。
専門用語が飛び交い、状況が把握できない。
私はずっと泣いていた。祈っていた。名前を呼んでいた。
NICUの医師が側に来て「少し泣きました。自発呼吸を少ししたんです。」と教えてくれた。生きて産まれてきてくれた。
おそらくかなり難しいと言われていた挿管ができたとのこと。
NICUに連れていきますと伝えられたとき、
私の術後の処置はほとんど終わっていた。
自分の身体のことなんてこれっぽっちも気に掛けていなかった。
まだ私も寝たきりだったが、ベッドごとNICUに運んでもらい
産まれたてのつぐに会えたのは術後何時間後だったろうか。
初めて見るつぐは本当に心の底から可愛くて、愛しくてたまらなかった。
きっと他人は目を背けたくなるような見た目だったことは間違いない。
それでも、懸命に生きる目の前の娘は紛れもなく私にとっての天使だった。
NICUのなかでも異常なほどの管に繋がれていた。
浮腫みきった身体は薄い皮膚のせいかテカテカしていた。
肌の色も紫色の面積が多かった。
もみじみたいな手と豆粒みたいな指と小さな身体は紛れもなく
他の子と何ら変わりない、赤ちゃんという存在だった。
明日、あの子を抱く為に私は早く起き上がらなくては。
私はとても前向きに、積極的に身体を動かせるように努力した。
二度目の帝王切開だったからか、長男の時より遙かに激痛だったが
つぐを想えば堪えられた。安静になんてしていられなかった。
夜を越えて、朝が来た。
ただそれだけで、幸せだった。