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八戸三社大祭、42年ぶりに参加し感じたコト。

青森県八戸市で行なわれる「八戸三社大祭」と言われても、
イメージ出来る方はとても少ないのではないかと思われます。
青森県のお祭りと言えば、「青森ねぶた祭り」が超有名で、
アメリカ・ハリウッドで運行された「ねぶた」をYouTubeで見るコトも
でき、日本は勿論、世界も含め認知度では格段の違いがあります。

しかし、八戸三社大祭は約300年の歴史があり、
2016年にユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」登録され、
自分が参加していた時と比べて祭りの評価も高かまっていると感じます。
三社大祭の目玉は、三社と呼ばれる神社に関わる各町内と企業などから
27台の豪華絢爛な山車が繰り出されることにあります。
ちなみにこの山車は、ねぶた祭り同様に毎年題材が変わり新しく
作り替えられます。専門の設計者が居て制作する「ねぶた」と違い、
山車に参加する方々の中から制作リーダーが決められ仕事が終わった後に
山車小屋に集まり、3ヶ月以上かけてコツコツと
作り上げる全員参加型のスタイルで、それは今も変わっていません。

題材は真田幸村 大坂の陣

2024年7月31日の前夜祭にはじまり、8月1日のお通り運行・
2日の中日は夜の運行、3日のお還り運行、4日の後夜祭と5日間
繰り広げられます。42年ぶりに参加して、祭りの未来など感じたコトを
書き記します。

■42年ぶり・・・参加の為の困難な道のり!
大学卒業し入社するとお盆前開催の祭り期間、八戸に戻れなくなりました。
昭和の時代ですから、あがいても休暇取れず参加を諦め続けて来ました。
会社を卒業したことで、その壁が無くなったのは良いのですが、
別な壁が立ちはだかりました。
10年一昔と言われますが、さらに42年ものブランクはとても大きく、
小学校から大学3年まで参加していた時に存じ上げた方々が
全く見当たらないのです。知らない方々の中に、さすがに入れません。
ある時、参加していた山車組の“山車小屋の記録”というYouTube映像
(前編・中編・後編の3本仕立て)を見つけました。
見進めると、テロップで山車組副責任者と映し出された方の苗字が、
なんと私と同じ苗字の方だったのです。
こうなりゃ何としても苗字繋がりでお友達になりたいと思い、FBで
見つけ住所もあったので、まずは手紙からと意気込んで出したら
住所不明で戻ってきました。また諦めかけましたが、
今度はメッセージの方に恐る恐る思いをしたため送りました。
変なメッセージが来たな~と思われたのだと思いますが、何とか、
山車組OBであるというコトを理解していただき繫がることができました。
しかし、このまますんなり参加というわけには行かなかったのです。
そう、世界中を席巻したコロナウイルスの為に、お祭りは中止を余儀なく
され3年間開催されませんでした。2023年にお祭りは再開されましたが、
今度は、こちらの準備も整わず断念。2024年は春から動き出し、
最終的に42年ぶりに参加する夢が叶いました。

題材は、平家一門「大物浦の逆襲」 真ん中に碇を持つ平知盛

■いろいろ感じたコト 一つ目。
青森県では、ほぼ数日違いで「八戸三社大祭」と「ねぶた祭り」が
開催されます。
祭りの規模・賑やかさは、ご覧になった方は互角と感じてもらえるのでは
ないかと思います。
しかし関東から見て、まだまだ大きな隔たりを感じざるおえません。
三社大祭は、子供達の祭りと地元の方々は言いますが、祭りとしての
参加受容性が決して高いとは言いにくい点があるのだと思われます。
参加するには各山車組名が染め上げられた半纏を羽織る必要があり、
それを手に入れる方法も山車の制作やお囃子に関係しなければ知る余地
がありません。
日本の各市町村にある神社系のお祭りもその様相は少なからず持っていると
思いますが、祭りを知って好きになってもらうのは“体験”するのが一番良い
方法であるコトは当然ご理解頂けることだと思います。
関東では千葉の柏市・東京の中野区など各地で「ねぶた祭り」が開催され
ますが、青森市の「ねぶた祭り」は、跳人に容易になれる受け入れ体制
など、祭りの体験ファンがいればこそなのではないかと推察します。
少子化の問題も含めて、参加する子供の数の減少が地元新聞で取り上げられ
祭りの未来を憂う話だな~と感じながら読みました。
特に3つの神社に関わるエリアという点もあるのか、他の地区の方々の
関与が少ない様にも感じ、八戸市全体の祭り、市民祭りとして
観光誘致を続けるためにも市内外の体験者を増やしていくことも
大切なことのように思えました。
私の孫にも、祭りの映像を見せれば、綱を引いてみたい・太鼓を叩いて
みたいと言うのでは無いかと思います。

題材は南総里見八犬伝 2024年の最優秀賞を受賞した山車です。

■いろいろ感じたコト 二つ目。
年々巨大化し魅力の増した山車は素敵なのですが、ちゃんと題材が分かる
全てが開いた状態で運行し切れていない点を参加しながら感じました。
電線の地下化が進んだメインの大通りは、山車が全部開き豪華絢爛を
表わす運行になっています。観客も分っている様で、
その通りは(昔の印象より)すし詰め状態と言ってよい人の数々・・・、
しかし、電線の残る通りになると山車も閉じて運行するため題材が
よく分からないこともあるのか、観客はパラパラ状態。
前夜祭・後夜祭は、停止した山車が全面的に開かれ、観客は賑やかな
お囃子の中、巡り歩きながら各山車をゆっくり鑑賞できます。
それはそれで良いのですが、各神社の付け祭りとしての山車なので、
神輿と同様に運行(練り歩く)してその価値を示すコトにあるように感じ、
巨大化と運行状況との折り合いは、急がれる課題の様に感じました。

■祭りの後の呟き
42年ぶりにノコノコと参加し感じたこれらのコトは、地元では既に
分かっていることだと思います。地元に住んでいない者が何を言う、
と言われそうですが、地元で続いているからこそ42年ぶりでも
戻りたかった、参加したいと思わせる祭りの魅力がタップリあるのです。
祭り囃子で心が動くのは、若かろうがシニアになろうが変わりません。
さらに、八戸に住んでいないからか・・・、故郷・地元の祭りに良さ・楽しさ
を広めたい・知ってもらいたいという強い思いが働いています。
今回、FB・インスタでも発信し、日本の友人は勿論、海外の友人からも
反応があり、Woo!の連発、継続したら見に来てくれるかも?しれません。
 
さらに感じたコトとして、私の様に「祭り期間、八戸に戻って参加したい」
と考えている方は多くいるのではないかと思います。
10年ぶりどころか42年ぶりでも参加出来ました。そう、今回参加を
許してくれたメンバーの目には、“42年ぶり!?の不思議なおじさん”って
映っていたのだと思いますが、本当に皆さんには感謝を申し上げます。
同じ思いの方は、思い切って参加してみてください。楽しいです。
 
最後に、祭りを未来永劫残し続けていく人達にエールを送る意味でも、
祭りをする側と見る側がもっと近づく進化を遂げ、皆さんに愛される祭りに
なることを祈り支援を続けたいと思いました。やっぱり祭りは素晴らしい!





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