和樂webで掲載~フランスより故郷滋賀を選んだ画家、野口謙蔵
東京美術学校(現、東京藝術大学美術学部)で西洋画を学んだのち、ひたすら故郷滋賀県の蒲生野(東近江市)をテーマに描き続けた画家、野口謙蔵の生涯を記事にしました。
1920年代当時、多くの画家は中央画壇の東京で活動したり、芸術の都パリに留学したりしましたが、謙蔵は卒業後すぐに帰郷しました。
「どうしてみんなフランスに行きたがるのか、滋賀県にもこんなに見あきぬ美しいところがあるのに」
と語っていました。
苦労しながらも、帝展(日展の前身)に出展し、入選・特選に選ばれるなど画家としての知名度をどんどん上げていきました。
その他にも、年に1回は東京に行き、研究会などにも参加して後進を指導。一方滋賀県芸術文化報国会絵画部会長に就任するなど、地元の文化芸術にも貢献しました。
病気のため、43歳の若さで亡くなったのが悔やまれます(私より若いのに…)。
地元に留まりながらも、日本の画壇を見ようとする視野の広さがある人です。
だから、地元を愛しているあまり他の世界を見ようとしない、マイルドヤンキーとは違うのです(変な例え)。
私は地元が好きではなくて、離れて久しいですが、謙蔵が少し羨ましく思いました。
今は、地方にいても、オンラインを活用して、日本だけでなく世界中を相手に仕事している人だって珍しくありません。
謙蔵の生き方は、現在にも通じるものがあると思います。