カジートDのデイドラ日和 #1「はじまりの日」
まだカジートに名前があった頃。
小さなカジートは気が付けば1人だった。両親が居たのかも分からない。顔も思い出せない。
ただ、カジートはいつも腹が減っていた。
腹を空かせた野良猫に道義などあるわけがない。道義を教える親もいなかったのだ。
カジートは生きるために盗みを働いた。パンを、クリーム煮を、アップルパイを、ヤギチーズの切れ端を。
やがて盗みは日常になり、小さな野良猫が腹を空かすことはなくなった。
空腹が満たされたカジートは、今度は金品に目をつけた。宝箱に入った誰かの大切な宝石。思い出の指輪。金庫にしまわれた金を盗んだ。
カジートはこんな風に大切にされたことがない。大切に仕舞い込まれた物を手に入れれば"大切にされること"が分かると思った。だから誰かにとって大事な品々を盗み続けた。
それでもカジートは満たされなかった。
街の人々から向けられる視線はいつも冷たかった。それはそうだ。カジートは薄汚い泥棒猫なのだから。
カジートは本当はきっと大事にされてみたかっただけなのだ。金庫にしまうように、宝箱に鍵をかけるように、大切にされたかった。
だが野良猫の夢は叶いそうになかった。
ある時、カジートを見てノルドの誰かがこう言った。
「これだから"カジート"は。お前は生まれついての盗っ人だ。その体に流れる血がお前を盗みに駆り立てるんだろう?薄汚い泥棒猫が」
カジートは分からなかった。
カジートの体に流れる猫の血が盗みに駆り立てるのか、貧しい暮らしがそうさせるのか。
だが、そんなことはどうでもよかった。どちらにせよカジートは生まれついての泥棒なのだ。
カジートは"カジート"としてしか見てもらえないのだと理解した。
その時からカジートは、自分のことをカジートと呼んでいる。
野良猫に名前など必要ない。優れた泥棒であれば、名前を訊かれることもないだろう。
ノルド達が望む"カジート"で在ろうと心に刻み、カジートは名前を捨てた。
名も無きカジートは、放浪の旅を続けた。盗み、売り捌き、また盗む。
自分を知る者が現れれば次の街へ行く。野良猫にはうってつけの気ままな一人旅だ。終わりのない旅。
だがある日、ついにその爪を血に染めた。
今思えばくだらないことだった。1人のノルドの子供が生まれたての子ネコに石を投げているのを見かけた。居ても立っても居られず注意した。するとその子供はカジートにも石をぶつけ始めたのだ。
やめろ、とカジートは言った。だがその子供は聞く耳を持たなかった。それどころか「泥棒猫め」「汚れた獣の血」と続け様に罵りながら何度も石を投げてきた。
罵詈雑言を浴びせられながらカジートは思った。こんな世界なら滅びてしまえばいい。誰かが、何か強大な力が、スカイリムごと破壊してしまえばこんなことにはならないのだ。そんな思いが心を満たし、頭の中が氷のように冷えていくのを感じた。
誰かこんな世界を壊してくれ。
だがカジートの願いは届かなかった。
ぐしゃり。目の前にいた子ネコが"子ネコだったもの"になった。
ノルドの子供はせせら笑った。
「いつかお前もこうなるんだ!ノルドこそが正義だ!」
カジートは分からなかった。
正義の何たるかも。命の重さも。この世界が存在を許されている理由も。
氷水で冷え切ったような頭の中は一瞬で煮えたぎった。
そしてその次の瞬間には"子供だったもの"がそこにあった。ただ、それだけだった。
かくしてカジートは両手を縛られ、馬車に揺られているのだった。
目的地は分からないが、どこでも良い。この世界のどこかであるというその事実だけで、たかが知れている。
あの子ネコが死んだ場所と地続きの世界にカジートは連れて行かれるだけだ。終わりのない放浪の旅に「おわり」と書く日が来た、それだけのことだ。
見知らぬ街で順に降ろされていく。これからカジートは処刑されるらしい。この世界が滅ぶのを見届けられないのは残念だが、この虚しい茶番を終わらせられるのなら処刑も悪くはないだろう。
「名を名乗れ」
名乗る名などカジートにはない。
だが厄介なことを言って処刑を先延ばしにするつもりもない。
咄嗟に思い浮かんだ名を口にする。
「Dだ」
ドラゴンのDか、デイドラのDか、はたまた…。
いつかこの世界を変えてくれる何者かに思い馳せながら、斬首台に首を乗せる。
カジートは、これでもうカジートではなくなるのだな。
見上げた曇りない空に大きな黒い影がよぎる。兵士達が口々に声を上げた。
「ドラゴンだ!」「逃げろ!」
カジートは微笑んだ。
まだ生きていられるからではない。
この世界を壊してくれる存在が現れたことに思わず笑みが溢れたのだ。
それがカジートのDの"はじまりの日"だった。