信じること
私は人よりも人間不信なところがある。それがなぜなのか詳しくは分からない。けど、確かに言えることは人を信じることができないということはなかなかに辛いということだ。
自分の記憶の中だと私が人間不信になったのは中学生の頃。自分にも非がある部分もあったが、自身の周りでいじめが目立ってくる中で対人関係の保ち方というのを考えるようになった。昼休みはよく図書室で読書をしていた。自分が読書好きなのはそれがきっかけだろう。それと同時に人間観察もするようになった。ひとりでいる時間が多かったときにやっていたことは大体そんなことだ。
ほんとに中学時代は色々あった。喧嘩もした。けど、その喧嘩は自分が相手の挑発にまんまと乗ってしまったから、それが理由で起こっちゃったのでめちゃくちゃ反省している。何が問題かって、ストレス溜まると自分が抑えられなくなっちゃうところなんだよね・・だからその喧嘩はおもったよりも面倒なことになってしまった。。
高校はなんの問題もなく生活できていたかな。。でも自分の人間不信はなかなか治らなかった。なんでだろな。なんかあると普通に疑ってしまう。そんな自分のことがあまり好きではなかった。
そんなときにある友人と知り合った。彼はアイドルが好きだった。自分はその時までアイドルというものが大っ嫌いだった。あんなのどこが可愛いんだよってそう思っていた。
けど実際歌を聞いてかなりの衝撃を受けた。メッセージが心にブッ刺さった。そこからいろんな音楽を聴くようになった。そこでわかったのは自分はメロディーとかじゃなくて歌詞とかから入っていく人間なんだなぁって。だから小説も好きなのかなぁなんて思った。
でも自分は表面上でしかその歌詞を受け止められてないのかなーなんて思うことも、というか毎回そうなんじゃないかと思うこともある。親にお前は表面上の言葉しか理解できてないなんて毎度のように言われてたらそうなるのもしょうがないとは思うけど、こんなのただの言い訳にしかならないから。でも僕はもっと言葉を芯まで理解したい。それにはどうすればいいのかな。。いつになったらできるんだろう。焦燥感。このままずっと”お前はお前は”言われるのは嫌だからね。。
語学留学して就職した後も人間不信が消えるということはなかった。こんなこと言うのはアレかもしれないけど職場の人間はいくら日本人上司であっても信じることができなかった。社会に出て大人がどうやってるかも少しずつだけどわかってきた。けど、やっぱ大人ってずるいなと感じることも多々あった。特に衝撃を受けたのは常連のお客さんに自分の上司が色々何か言ってたということ。普通にショックだったし、人間ってやっぱおもて裏あるんだなーって思った。だから人間が怖い。表向きニコニコしてても裏では何か言ってるんじゃないか。毎回そう思ってしまう。それがいいことなのか悪いことなのか自分じゃよく分からない。
この問題は解決できない問題ではないと思う。むしろ解決しないといけない問題じゃないのか、でもそこまで無理やりどうにかしないといけない問題でもないと思う。そこに葛藤している自分がいる。人が信じられないから取り敢えず表向きはニコニコして頷いてるところあるけど、実際それをストレートに受け止められない自分がいる。嘘までついて自分を表現している感じがする。それは嫌なんだ。
一体何が正解なのだろうか。。