身を添わしたいと思う、変化の遅いもの
大学一年の二月。
一ヶ月間、タイをバックパックした。
これでやっと、冬の寒さからおさらばだ!
お気に入りの水着を、何枚も詰め込んだ。
夏のジリジリした暑さが大好きな私は色めきだっていた。
搭乗。
2~3時間のフライトだと思い込んでいた私。
しかしタイは思いのほか遠かった。フライトは8時間。
格安航空で旅をするため、荷物を最小限にしていた私は自分の食事すら手に持っていなかった。
搭乗してはじめて、飛行時間を知るアホさだ。
腹を減らすのではないかとソワソワしていると、
隣に座ったお姉さんが、心配しておにぎりをくれた。
ツナマヨしか勝たん!
ツナマヨを大切に頬張りながら、目を細めて窓の外を眺める。
飛行機が滑走路を走る音と、私の心臓の高鳴りは共鳴する。
一足先に到着していた友人Tと、バンコクのとある駅で待ち合わせした。
外国での友人との再会。感情は、制御不能だ。
頭で考えるより先に体が動いている。走って抱きついた。
湿気と汗でペタついていた。
中学の幼なじみ、Tだ。
さてと。バンコクの観光は後回しだ。
まずは、現地の物価調査からはじまる。
路面店の主にも聞き回り、一番安いところでチケットを入手した!
バスを乗り継いで、南へ、南へとすすむ。
若者のパリピエリアを避けて、クラビというところを目指した。
バスには、いろんな人が乗ったが、タイ人らしき人は一人もいなかった。
トランクに入れた荷物を心配して、交代で様子を見ていた。
しかし、移動で疲れていた私たちは、いつの間にか宇宙と交信(転た寝)してしまった。バスの激しい揺れに起きる度、お互いの安全確認をする。
何度かバスを乗り継ぎ、半日かけて移動した。
ホステルに無事到着。とても親切なエアビーで、バイクを借りた。
免許も、経験もなかった。
もちろん、標識の読み方も信号のルールすらもわからない。
そんなことは気にもせず、私たちはバイクを乗り回してたくさん移動した。
Tが運転、私はマップ係である。
大冒険の最終日。タイ四日目の朝。
いつものように美味しい朝ごはんをたらふく食べた。
バンコクに帰るまでまだ少し時間があったので、私たちは近所のおすすめを聞いてみた。
「あっちの山はどう?」
すすめられ、登山することになった。
マップで道を確認しながらバイクを走らせる。
グルグル山道は、お尻が痛くなる。
なかなか目的の山には到着しない。
マップ上の道と標識の道案内に戸惑いながら、なんとかたどりついた。
薄暗いひらけた道を進むと、何やらテントがある。
山に入るための受付だった。
名前と電話番号を控える。
私の電話は海外で使えなかったが、一応、番号を書いておいた。
すると、なぜか白とピンクの餅饅頭とバナナをもらった。お守りみたいだ。
いつでもお腹の空いている私たちにはありがたい。
「往復三時間だよ」と言われ、スタートした。きっと、現地人スピードだろう。
案の定、なかなか頂上は見えてこない。
腸の中のようにゴツゴツしたところ、
木が撓んでブランコになっているところ、
岩によじ登って、木を頼って下って… 何度も繰り返す。
だんだん飽きてきた頃、ふと木々がひらけた。
「縄文時代…」
他に言葉が見つからなかった私はそう言った。
全く予測もできなかった、はじめての景色だった。
はじめてなのに、何故か哀愁漂う景色だった。
太陽の光で、みどりがたっぷり、モコモコして見えた。
雲は、森に不思議な模様をつけていた。
森は、後にも先にも聞いたことのない、不思議に豊かな声で満ちていた。
私が身を添わせたいのは、壮大な自然である。
普段接する、その辺に生えている草木や、植木鉢の中の切り取られた自然ではない。
まだ見ぬ、想像もできないような、大きな大きな自然だ。
その自然が私の中に入ってきたときの感覚が、忘れられない。
人間はちっぽけだということを、実感させられた。
だが、たとえちっぽけな私であっても、
不安にはならなかった。
包み込まれるような感覚だった。
世界は、自分が思っているような悲惨な方向だけに進んでいるのではない。
そう思えた。
時々、あと五〇年早く生まれていれば…、と思う。
豊かな自然も。美しい手仕事も。祭りも。言葉も。習慣も。
ホンモノを、体験してみたかった。古く昔から続く何かを頼りにしたいと思っていた。
だが、今でもまだ、ゆっくりと、ゆっくりと変化しているところがある。
そんなところを護りたい。
あの感覚を、大切な人と共有したい。
そう思った。
了 (美学 の最終レポートより。ちょっと編集済み。)
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