普通でいることより特殊な普通にこだわれ
普通ってなんだ?
普通↔︎特殊
普通↔︎特別
辞書で調べると普通の反対語は特殊または特別。特別な存在と言ったことは滅多に起こり得ないことなので、今回は「特殊」の中の普通でどういうマインドでいればいいか考えていきましょう。
疑問を抱くようになったのは中学3年生の頃だ。頭の良さがない自分が普通科の高校を受験することをしなかったこと。商業高校に入って就職する人や専門学校や大学と異なる多様な生き方をする友達と出会ってきた。
通っていた商業科でも大学に行くのはせいぜい5人程度。自分はその道に行きたいと勉強したが自分の思うようなところに合格はいもらえなかった。
浪人させてくれる親に感謝しながら浪人生活をしたこと。これも多くの人が経験しないことをした。
明らかに正攻法と呼ばれるストレートで人生を送っていないことに気づいた。普通という概念そのものが自分にとっての「非」日常であり「非」常識の領域であることに。まさに特殊な状態といえる。
大学に入ってからも3年の春にうつ病を発症して退学という選択を秋にしたこと。これも他の人がしない選択であり非日常的な動きであることは誰が見ても普通ではないと言えるだろう。
でもひとつ言えることがある。特殊であると感じて悩んでいたとしても、それは特殊の中の普通と言い換えられないでしょうか。
人生のレールから一回外れたとしても、そこで終わりですか?私は違うと思います。むしろ自分を変えるチャンス。普通から特殊な普通へ変化していく。この考え方が何よりも大事にもっておくべきものなのではないかと感じています。
普通にしがみつくことをやめれば今抱えている悩みや問題がスッと解決できる可能性がある。
自分がそうであったように普通にこだわれば、自分軸を失い他人軸で動くことになります。自分を大切にする。このことが抜けてしまっていることが生きていれば必ず経験します。
なぜなら、それは気づかれないように常に隠れてしまっているから。そのことを理解しておけば、普通に生きることが大変でも考えひとつ持っておくことで楽しく生きることができると思います。
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