「鍼灸師の学校」参加レポ Day2~スピリチュアルから救急まで、家庭医ってステキやん~
今回も「鍼灸師の学校」講義受講しました!
わたしが選択しているのは「鍼灸臨床力が上がる基礎医学講座」
医はき師てらぽん先生から家庭医療のノウハウを教えてもらってます!
前回てらぽんへの愛と、家庭医療がおもろいって話をnote書いたら、 Twitterでこんな反応が(笑)
推しからのリプうれしいですね〜(笑)
今回は「スピリチュアルペイン」「危険な患者の見極め方」について教えてもらったので、まとめと感想をちょっとだけ。
スピリチュアルペインをちゃんと拾い上げる
人間生きていればさまざまな苦しみがあるわけですが、そのなかには「答えのない苦しみ」ってのも存在していると。
それがスピリチュアルペインというもの。
「自己の存在と意味の消滅からくる苦痛」と定義されます。
「死ぬかもしれない」「生きる価値がなくなった」という状況に置かれたひとの気持ちを、100%理解できるだろうか?わたしは、たぶんできないと思う。
「苦しんでいる人は、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい。」
つまり、あいての苦しみを「わたしが理解する」のではなく、あいてが「わたしをわかってくれている人だ」と感じてもらうことには可能性がある。
「辛いですね」「大変ですね」
それはただの「同情」だけど、まずは相手の立場にたって(あるいは全力で想像力を膨らませて)耳を傾ける、そこで自然を湧き上がってくる感情を「共感」という。
ふとじぶんの診療を振り返ると「スピリチュアルペイン」を抱えている患者さんは以外と多いと気づきました。
「骨折してマラソン大会にでれなくなった、目標がなくなってしまった。」
「腰痛で今までできていた家事ができなくなった、家族に申し訳なく思う。」
「死」だけでなく、普段の何気ないコミュニケーションのなかに「スピリチュアルペイン」は存在していて、私達はそれを拾い上げられていないのかもしれません。
もし何気ない会話のなかで「スピリチュアルペイン」に気づいたら、励ましたり、同情ではなく、そっと気持ちに寄り添って「共感」を伝えられたら、そのひとにとっての「苦しみをわかってくれるひと」になれるかもしれません。
まるで救急の現場に立ち合っているような
これまでは、「患者中心の医療」「家族志向のケア」「ライフサイクル」などマクロな内容でしたが、後半戦は、うってかわって「危険な患者の見極め方」の講義。
危険な患者とは
・生命に関わる緊急性の高い疾患
・後遺症を残しうる可能性の高い疾患
を持っている可能性のある患者のこと
冷汗、突然には絶対アカン。
詰まる、破れる、裂ける、捻れるは絶対アカン。
収縮期血圧 <50mmHgと>180mmHgは絶対アカン。
まるでじぶんも救急の現場に立ち会っているような緊迫感を持って聴講していました(笑)
スピリチュアル〜バイオロジカルまで、まったく異なる頭の使い方をしなければいけないので、正直混乱してしまいましたが、Biologicalに関しては、「最悪を考える」という意識を強くもっておきたいです。
そして、てらぽんの言葉で印象的だったのが、「どれだけサイコ、ソーシャルの能力に長けていても、バイオが理解できていない医療者とは連携できない」と言っていたこと。
個人的にはこれがイチバン刺さりました。
医学用語の使い方、バイタルサインの理解、疾病の知識etc...
どれだけ東洋医学のスペシャリストでも、ここが抜け落ちると「医療職」としては信頼されないんですね。(この基礎医学講座で最も重要だと思った。)
今回は、救急〜外来〜在宅と幅広いフィールドで活躍しているてらぽんの家庭医としての思考回路を垣間見れて、「やっぱ、家庭医療ってステキやん。」って思いました(笑)
次の講義もたのしみです!!